幕末時代、カネ目当てで浪士組に入った「偽志士」コンビの末路とは? (1/4ページ)
幕末時代、多くの志士たちが日本の行く末を思って全国各地を東奔西走し、数々の歴史ドラマを生み出したのは今日よく知られるところです。
幕末の志士たち(海援隊)。Wikipediaより。
しかし、そんな志士たちも喰わねば生きていけない訳で、主君からの扶持も満足な生業もない浪人たちは、その多くが大なり小なり経済的な支援を受けていたことでしょう。
とは言え、いつの時代も自分の生活で手一杯なのが庶民というもの。いくら天下の大義だ尊皇攘夷だと謳ったところで、そんな心意気に応えて快く支援してくれる奇特な方はなかなかいません。
また、日本のためになるなら……と、苦しい中でも支援してくれる善意につけ込む詐欺なども少なからず横行していたようで、そうした卑しい手合いは今も昔も変わらずいるようです。
今回はそんな「偽志士」たちのエピソードを紹介したいと思います。
浪士組にゴロツキ二人時は幕末・文久三1863年2月、第14代将軍・徳川家茂(とくがわ いえもち)の上洛に随行してその身辺警護や不逞浪士の取り締まりを目的とする「浪士組(ろうしぐみ)」が結成されましたが、身分の貴賤や行状などを問わず募集したため、メンバーの中には必ずしも志の高いばかりではなく、食い詰め者や兇状持ちなど「むしろこいつらが『取り締まられるべき』側ではなかろうか」という者も少なからずいたようです。
※実は、浪士組は「江戸を騒がす破落戸(ゴロツキ)どもを体よく一掃する」という裏の目的があったのでは、という説もうなずけます。