鬼太郎の原型を作ったのは危険人物?ゲゲゲの鬼太郎の原型「ハカバキタロー」と紙芝居作家たち【3】 (2/5ページ)
しかし紙芝居作家が、漫画家のように世間に広く認知されることはありませんでした。
特に戦前は紙芝居自体が生まれたばかりで、有名作家や画家が関わることはなく、作り手は無名の若者が多くを占めていました。当時、紙芝居作家たちの平均年齢は、およそ25歳前後だったといいます。
そして、そんな紙芝居作家のなかに「伊藤正美」と「辰巳恵洋」がいました。
『ハカバキタロー』の作者たちです。
紙芝居の制作方法は、脚本と作画を分業するタイプと、両作業を一人で行うタイプがありました。「キタロー」は前者です。伊藤は脚本を担当し、辰巳は作画を担当しています。
つまり伊藤正美がストーリーを作り、辰巳がビジュアルをデザインしました。水木しげるの紙芝居版『墓場鬼太郎』が誕生する20年以上前のことでした。ただし、辰巳と水木のキャラクター・デザインは全く別のものです。
“鬼太郎の原型”を作ったのは、デカダンスな危険人物だった!?まずはストーリーを作った伊藤正美が、どんな人物であったかを見ていきましょう。
伊藤正美は兵庫県神戸市出身。「関西学院にまなんでいたがデカダンスだった」と、加太こうじは著書『紙芝居昭和史』(岩波書店)に記しています。加太は紙芝居作家であり、水木しげるが「鬼太郎」を生み出すきっかけを作った人物です。
デカダンスは直訳すれば「虚無的・退廃的な生活態度」となるでしょうか。学生時代の伊藤についてはこんな逸話があったといいます。
・酒をよく飲んだ。
・神戸の元町通りで、店先にあったタヌキの置物を蹴飛ばしてこわした。
・交差点で手動の信号台に上がって、勝手に信号を送り、交通を大混乱させた。(当時は信号機がなく、交通巡査が整理していた)
・酔っぱらいを取り締まる警官に大八車にしばりつけられて、警察に連行された。
なにやらデカダンスというより暴れん坊ですね。では伊藤は危険人物だったかというと、必ずしもそうではないようです。伊藤は仲間と冗談を言い合うのが好きだったといいます。場を盛り上げるために、ちょっと話を盛ったのかもしれません。
当時、若き紙芝居作家たちは気の合う同士でグループを作り、喫茶店やミルクホールに集まりました。