美しすぎた男装のイケメン女剣士・中沢琴の幕末奮闘記【下・帰郷編】 (3/4ページ)

Japaaan

領地没収)とされたもののやがて復帰し(石高は17万石⇒12万石に減封された)、藩主・酒井忠篤の罪も明治二1869年9月23日に赦されました。

捕虜とされていたであろう琴たちは恐らくそれより早く釈放され、暫く庄内にいましたが、明治七1875年に兄・貞祇と共に暇を乞います。

浪士組に参加した文久三1863年から実に12年ぶりの帰郷(※江戸に居た期間に帰省くらいしたかも知れませんが)、琴は37歳前後になっていました。

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……さて、故郷に帰ってきた琴は「もう男装する理由もないから」と女性の姿に戻ります。

女性の姿に戻った琴(イメージ)。

実質上の引退宣言ですが、江戸警護や庄内戦争で活躍した女剣士とあって、求婚する男性が後を絶たなかったそうです。

しかし、これと言った魅力的な男性にはなかなか出会えず、いちいち会って丁重にお断りするのも面倒になって来た琴は、求婚者たちにこんな条件(ハードル)を設けます。

「私より強い男性と結婚します!」

つまり「自分と剣術の試合をして、勝った者と結婚する」と言ったのですが、これだけでも剣術の腕前に自信のない多くの男性を篩(ふるい)にかけることが出来ました。

求婚者との真剣勝負(イメージ)。

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