武士が小細工を弄するな!鎌倉武士の鑑・畠山重忠の高潔なエピソードを紹介 (2/5ページ)

Japaaan

「待たんか、こらッ!」

盛通はすぐさま則宗に追いついて羽交い絞めにしましたが、則宗は相撲の達者として知られる怪力の持ち主でした。

相撲と言っても今日のそれとは大きくことなり、拳や蹴りも許される組討(くみうち)ですから、則宗は格闘家のようなイメージです。

則宗はすぐさま盛通の腕を振りほどくと、差していた腰刀(こしがたな。太刀とは別に身につける護身用の短刀)を抜き放ちました。

狼藉に及ぶ則宗(イメージ)。

「死ねぇっ!」

俄かに体勢を崩した盛通に突きかかる則宗を、間一髪で制止した者がいました。ちょうどその場にいた、畠山次郎重忠(はたけやまの じろうしげただ)です。

座ったまま、左腕一本で賊をねじ伏せる!

この重忠は武蔵国(現:埼玉県および東京都西部)の大豪族で、齢十七で初陣を飾ってから二十年にわたって幕府に仕え、数々の武勲を立ててきた歴戦の勇士

畠山重忠。菊池容斎『前賢故実』明治元1868年

その豪勇もさることながらその謹厳実直で公正無私な振舞いに、誰もが彼を「鎌倉武士の鑑」と称えたそうです。

さて、そんな重忠が則宗を組み伏せた時の様子は、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』にこう記されています。

「……則宗(は盛通の)右手を振り抜きて、腰刀を抜き、盛通を突かんと欲するのところ、畠山次郎重忠、折節傍にあり。

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