差別や偏見と闘い日米親善・世界平和に奔走した人生!笠井重治はかく語りき【後編】 (4/5ページ)
天皇陛下の御無事を確信した時、重治は人生における最大の仕事を成し遂げた思いがしたことでしょう。
日本のみんなを励ますため、全国各地を巡幸される昭和天皇陛下。Wikipediaより。
常に世界の平和を祈り続けて来られた天皇陛下と日本人の絆は、重治や先人たちのお陰で、今日も脈々と受け継がれています。
エピローグ・その後の重治天皇陛下が助かった後も、重治はGHQの軍人たちに対して日本に善政を求めるべく積極的に交流し、昭和二十一1946年には衆議院選挙で当選して国政にも復帰(残念ながら翌年落選、政界引退)。

昭和二十二1947年に日米文化振興会(現:日米平和・文化交流協会)を創立してその会長に就任、昭和二十五年にはGHQによるアメリカ渡航許可第1号として渡米し、ワシントン大学や母校のシカゴ大学、そして全米在郷軍人会などで精力的に講演し、日米連携にむけた理解促進に努めました。
他にもフィリピンを訪問したり、日豪(オーストラリア)親善に尽力したり、太平洋せましと駆け巡る日々を送ります。
そんな重治でしたが、昭和六十1985年4月10日、東京都世田谷区松原の自宅で98年9ヶ月の人生に幕を下ろしました。