差別や偏見と闘い日米親善・世界平和に奔走した人生!笠井重治はかく語りき【後編】 (2/5ページ)
それでも重治は戦争一色の世論に抗い続け、なおも戦争の早期終結・平和回復を訴えたために政界からも追われてしまい、失意の日々を過ごすのでした……。
伴侶の支えで立ち直り、人生最大の大仕事!そんな重治に、終生の伴侶となるパートナーが現れます。北海道帝国大学の医学博士である葛西(かさい)とも子です。
時は昭和十八1943年、新進気鋭の弁論青年だった重治も早いもので57歳、もう初老と言ってよい歳ですが、心底彼の人柄に惚れたのでしょう。対するとも子の年齢……を調べてはいけません(笑)
「みんな戦争イケイケどんどんだけど、あんなのは新聞やラジオの報道に乗せられているだけ。今に見てなさい。戦争回避の信念に生きているあなたを散々『非国民』だ『売国奴』だなんだと罵っていた連中が、あなたの正しさを思い知る時が必ず来るから」
これまでずっと独りで闘い続けてきた重治にとって、とも子の存在、そして彼女と過ごした日々はこの上ない安らぎであったことでしょう。戦後も重治が国家のため、国際平和のために奔走する気力が続いたのは、彼女の献身的な支えがあっての事と思います。
そして迎えた、昭和二十1945年8月15日の敗戦。日本人の多くが絶望感に打ちひしがれる中、重治は日本の未来を諦めませんでした。
多くの日本人が、絶望に打ちひしがれた。