「憑依」を取り扱った作品をいくつか紹介 (2/2ページ)

心に残る家族葬

その状態でこの人間たちはいつもとは違う声で発語した。霊が一時的に乗り移ったような気配を周囲は感じた。これが「憑依」の始まりである。

その後、旧約聖書、ホメロス、ギリシア、キリスト教で、憑依は「神の介入」なのか、そうでないのか、聖霊なのか悪霊なのかと議論があり、解釈も変化した。また、本では次のような憑依の事例が紹介されている。

■フランスのルーダンでの尼僧集団憑依事件

1630年代にフランスのルーダンで憑依の歴史的記録でもっとも有名な「尼僧集団憑依」が起きた。この事件では尼僧たちだけでなく、尼僧たちの悪魔祓いに派遣された修道士までも憑依されてしまった。

彼らは「卑猥な言葉や神をあざける言葉を口にしながらも、それを眺め耳を傾けているもう一人の自分がいた。しかも口から出る言葉を止めることができない。奇怪な体験だった。」と述べている。それ以後、憑依を二重人格あるいは多重人格の表われとみなす考え方が一般的となる。

自分は単一実在ではない、複数の自分の寄せ集めで、普段はそれが一致して動いている。あるいは、日々の管理を筆頭格に委ねている。しかし、憑依のもっとも馴染み深い形はこれをうまく説明できないことがやがて明らかとなる。霊媒行為である。この場合、筆頭格は明らかに異なる実在のように見えることが多い。その霊媒がトランス状態でない時には知っているはずのない情報を提供できる。

■「ワトシーカの不思議」事件

1877年にアメリカイリノイ州ワトシーカで憑依の事例が起きた。ルランシー・ヴェナムという13歳の女の子が癲癇の発作を起こし、無意識状態に入るようになった。トランス状態になると彼女に様々な霊が取り憑いた。その「支配」霊が12年前に死亡したメアリー・ロスという少女である。

ほぼ1年間ルランシーはメアリーに取って替わられた。彼女はメアリーの家族によると生前のメアリーのように振る舞い、ロス家の家族やしきたりについて詳しい知識を示した。1年が過ぎるとメアリーは天国へ帰らなければと言い、そのとたんルランシーに戻った。1954年にはインドでも全く同様の憑依事件が起きている。

以上紹介したのはこの本の憑依、多重人格のごく一部であり、分厚い本だが、超常現象に興味をお持ちの方には一読をお薦めしたい。

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