大谷翔平、松坂大輔、清原和博…プロ野球レジェンドたちの「甲子園秘話」 (3/5ページ)

日刊大衆

PL学園の桑田真澄(元巨人ほか)と清原和博(元西武ほか)だ。2人が初めて甲子園に登場したのは、1983年の夏だった。「桑田はエース、清原は4番打者として、1年生ながらチームの中軸。しかし1年生が主力ということで、PLの下馬評は、けして高いものではありませんでした」(別のスポーツ紙記者)

 だが、2人は圧倒的な実力で評価を覆した。「準決勝では、夏春連覇中の池田を相手に桑田が完封勝利。決勝の横浜商戦では、清原が先制ホームランを放ち、そのままPLが優勝。大会後には“恐るべき1年生”だと、全国にKKコンビの名がとどろくことになりました」(前同)

 その後もKKコンビは甲子園を沸かせ、2年の春夏ともに準優勝、3年春はベスト4。まさに甲子園の申し子と呼ぶにふさわしい活躍を見せたが、2人は満足してはいなかったようだ。「優勝したのは1年の夏だけ。2人は“最後の夏こそ、深紅の大優勝旗を持って帰る”という強い思いを持っていたようです」(同)

 PL学園出身で、桑田、清原の2学年後輩である野球評論家の立浪和義氏は、当時の2人をこう回想する。「あれだけ甲子園で実績を残したお二人が慢心することなく、すごい量の練習をこなしていました。僕らはそれを見て、“桑田さん、清原さんの5倍も10倍も練習しないと、超えることができないな”と感じたのを覚えています」

 才能のある者が、強い決意で練習を積み重ねた成果は如実に出た。迎えた最後の甲子園。2人の活躍によりPL学園は優勝。見事に有終の美を飾った。「室内練習場で最後まで打撃練習をしていた清原さん。起伏のあるゴルフ場を黙々と走り込んでいた桑田さん。“練習はウソをつかない”というのは、まさに真理をついた言葉であると実感しました」(前同)

 高校3年間の甲子園で、通算20勝を挙げた桑田と、通算13本のホームランを打った清原。この2つの記録は、令和の時代が進んでも破られることはないだろう。

■怪物が覚醒!

 甲子園は、多くの“怪物”も生み出した。高卒新人ながら、ルーキー年から3年連続最多勝という偉業を成し遂げた松坂大輔(中日)も、その一人だ。「松坂は80年生まれで、“大輔フィーバー”の申し子。

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