懲役20年に無期懲役も! 元プロ野球選手の凶悪犯罪者3人

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懲役20年に無期懲役も! 元プロ野球選手の凶悪犯罪者3人

 8月に入り、プロ野球のレギュラーシーズンも残り約2か月。2軍暮らしが続いている選手の中には、「クビ」を覚悟している人物も少なくないだろう。

 プロ野球という華やかな舞台を退いた後、即コーチや解説者になることができる選手はほんの一握り。球団職員も、現役時代に真面目に練習に打ち込むなどして人間性を評価された選手のみ。また、社会人野球や独立リーグなどに進める選手も僅かである。

 大半の選手は、会社員や飲食店経営など第二の人生を歩むことになるが、そこで凶悪犯罪者になってしまうことも少なくない。そこで今回は、プロ野球選手から凶悪な犯罪者になってしまった人物を紹介する。

①宮本賢(北海道日本ハムファイターズ)

 2006年、早稲田大学から希望枠で入団。東京六大学野球では23勝を挙げるとともに、打者としても活躍し、当時早稲田実業の斎藤佑樹にも影響を与えた。

 ところが、プロ野球では結果を残すことができず、1勝もできずに球団から戦力外通告を受ける。真面目な性格もあり、球団職員として採用された。

 そんな宮本だが、2013年11月、千葉県船橋市内の路上で道を歩いていた女性に「お前まじ殺すよ」と脅迫し、強姦していた事が発覚。裏の顔が明らかになる。また、宮本は現役時代の2012年6月にも、仙台市で強制わいせつ事件を起こしていたことが判明。さらに、同9月に、市川市で女性につきまとい、県迷惑防止条例で逮捕されていたことも発覚。こちらもわいせつ行為に及ぼうとしていたものとみられる。仙台と船橋の件で 2014年に懲役5年の判決が下された。

 早稲田大学出身の野球エリートは、連続性犯罪者に転落した。

②松岡正樹(読売ジャイアンツ)

 平安高校時代強肩強打の捕手として鳴らし、1991年のドラフトで巨人から3位指名を受け入団。当時巨人は、山倉和博の引退や中尾孝義の故障が相次ぎ、捕手不足が深刻だっただけに、大いに期待された。

 ところが、プロ野球では全く使い物にならず、1軍出場のないまま引退。「プロ野球のサインが覚えられなかった」という逸話があるが、本当であるか否かはわかっていない。

 引退後、働きながら野球教室を開いていたという松岡だが、金に困っていたようで、2004年に奈良県天理市内のビデオ店で現金10万円を強奪。さらに、同年から翌年にかけ、タクシー運転手を座席に縛り付け包丁で脅すなどする手口で強盗を10件起こし、計約45万円を奪った。

 そして、松岡は2006年、懲役20年の判決を受ける。栄光の巨人軍に指名された期待の若手は、今や塀の中というわけだ。

③小川博(ロッテオリオンズ)

 プロ野球史上最悪の凶悪犯罪者となってしまったのが、元ロッテオリオンズの小川博だ。前橋工業高校から、当時新興チームだった青山学院大学を経てロッテに入団すると、サイドハンドからの速球と繰り出されるキレの良い変化球を武器に活躍。1988年には10勝を挙げ、最多奪三振を記録している。

 そんな小川は、引退後コーチに転身するが、この頃から賭け事などで借金を重ねるようになり、編成担当だった2002年11月、ロッテ球団を解雇される。

 その後、産業廃棄部処理会社に就職した小川は営業部長となるが、この当時も消費者金融などから借金を重ねており、金に困っていた。そして2004年11月、小川は勤務先の会長宅を尋ねると、応対した家政婦に土下座をしたうえ当日返済に必要だった3万円の借金を依頼。

 家政婦は、社員寮で現金が盗まれる事件が発生しており、それが小川の犯罪であることを疑っていたため、依頼を拒否。すると、小川は家政婦を突き飛ばして気絶させ、現金175万円を強奪。そして女性を桶川市内の旧荒川に投げ捨て逃走し、借金を返済した。

 小川は約一か月後に逮捕され、無期懲役の判決を受ける。野球選手時代の栄光が捨てきれず、浪費と借金を重ねた男の成れの果てだった。

 華やかなプロ野球界のすぐそこに潜む、「転落」の罠。現役選手は落ちてしまわないよう、今から準備が必要だ。

(文中敬称略)

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