そうだったの!?日本のキャラメルはかつて ”禁煙用のお菓子” として販売されていた (1/2ページ)

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そうだったの!?日本のキャラメルはかつて ”禁煙用のお菓子” として販売されていた

日本初の国産キャラメルは、森永製菓の創業者である森永太一郎(1865〜1937)が1899(明治32)年に販売を開始しました。

佐賀県伊万里出身で、日本の「西洋菓子のパイオニア」「菓子王」と呼ばれる太一郎は、1865年(慶応元年)、佐賀県伊万里で陶器問屋の家に生まれました。

叔父の手ほどきにより陶器商になりましたが、24歳の時にサンフランシスコに渡り、その後天職となる製菓業と巡り合います。

森永太一郎(MORINAGA MUSEUMより)

まだ日本の食糧事情が良好ではなかった時代、「栄養のあるおいしいお菓子を食べてもらいたい」という強い想いで11年もの間、異国の地で修業し、1899(明治32)年にようやく帰国、東京の赤坂溜池にわずか2坪の「森永西洋菓子製造所」を開業しました。

太一郎が最初に手がけた菓子はマシュマロでしたが、これが駐日米国公使の夫人らに気に入られると、瞬く間に「森永の洋菓子」は上流社会で一目置かれるようになりました。

その次に手がけたのがキャラメルでした。ところが販売当時はなかなか普及せず、厳しい経営が続いていました。そんな様子が一転する出来事が起こります。

それは1914(大正3)年の大正博覧会でのこと。同会での土産用にキャラメルを販売したところ、これが大うけ。4月23日には、「禁煙を欲せらるる紳士淑女の為に特製ポケット用」というキャッチフレーズで新聞広告に掲載し、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。同年7月10日の広告では、「煙草代用」のスローガンが起用されました。

このことからも当時のキャラメルは、「大人用のお菓子」として、販売されていたことがわかります。

その後も次々にヒット商品を送り出し、森永の主力商品となったキャラメルはその後、海外への主力輸出商品にまで成長しました。

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