歴代総理の胆力「高橋是清」(1)性格や見た目から「ダルマ宰相」と呼ばれた (2/2ページ)

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 ここで大事なのは、一方で高橋は極めて勉強家であったということである。決して、ナマケ者ではないのである。例えば、大酒を飲んでも、眠気がさしてくると手の甲にところかまわず灸をすえ、毎晩3時間の読書を欠かすことがなかった。佐賀・唐津藩の英語学校での教師の頃は、生徒があまりの灸の多さにビックリ、「先生、どぎゃんこつされた?」と詰問されたこともあった。こうした中で、頼山陽の『日本外史』全22巻をわずか3カ月足らずで読了してしまったこともあったのだった。また、英語が得意だったことから、海外の経済・財政に関する原書も片っ端から読みこなし、その知識は誰もが一目置く存在だったのである。

 一方、どこか稚気に溢れ、物事に無欲恬淡の楽天主義が人に愛され、相場師になる頃にはその博識ぶりは官界にも知れ渡り、わが国初代文部大臣の森有礼の手が差しのべられて文部省入りを果たすことにつながった。その後、高橋は農商務省に移り、官僚トップである次官にのぼりつめ、これが政界入りのキッカケにもなっている。ちなみに、特許庁の初代局長となり、わが国の特許制度を整えたのも高橋だった。

 ついには、総理経験者にして元老の松方正義からの引きがあり、紹介先は日本銀行であった。農商務省の次官までやった男である。日銀はしかるべきポストを用意したが、高橋いわく「ペルーの銀山で失敗した人間です。うぬぼれを捨てたところから出発したいと思っています。丁稚小僧からやれる仕事を探して頂きたい」とし、あえて日銀の建築所主任なる「軽量ポスト」にすわったのだった。

■高橋是清の略歴

安政元(1854)年7月27日、江戸(東京)芝の幕府御用絵師の家に生まれる。アメリカ留学。日本橋の芸妓・桝吉(ますきち)と遊蕩三昧生活。総理就任時、67歳。蔵相ポスト都合7度。昭和11(1936)年、「2・26事件」で青年将校の凶弾に倒れる。享年82。

総理大臣歴:第20代1921年11月13日~1922年6月12日

小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。

「歴代総理の胆力「高橋是清」(1)性格や見た目から「ダルマ宰相」と呼ばれた」のページです。デイリーニュースオンラインは、森有礼週刊アサヒ芸能 2019年 8/29号松方正義内閣総理大臣小林吉弥社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
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