ラブリ「虐待を受けました」と衝撃告白も、一部では批判の声? (4/5ページ)
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日本だから、は関係なく動物虐待はどんな理由がそこにあったとしても犯罪であり罪です。虐待をする人間には人権があるのでしょうか。ないのでしょうか。これは人権以前の問題だと思うのです。人間には人権がある、人を殺してもその人には人権ある。それが事実であり表現の自由かもしれません。それでは動物はどうでしょうか、動物は言葉を発することはできません。どんな感情も"言葉"では伝えることはできません。動物にも守られる権利があります。人を殺した人間、子供を虐待した人間は自分を守ることができますが、動物は自身を守ることができません。されるがまま、動物は優しいんです。自らがしたことを同じようにされないとその恐怖を分かることはできません。何を発信し、何を言葉にするのか、社会に虐待は関係しないのでしょうか、虐待をし終わったら、自分なりに反省をすれば、それを公にせずとして動物問題、社会問題を取り上げれるのでしょうか。メディアで社会のことを、政治のことを発言するのであればそれなりの責任と言葉の責任が問われます。それでも発言するのであれば自分を疑い続けなければいけません。虐待をした事実を棚に上げることは可能なのでしょうか。「左目を失っても本人は元気」だと失わせた本人が言いました。虐待をした人が自分にも人権はあると言いました、あなたは愛犬をそうされてどう答えることがあると思いますか?自分のしたことの罪を忘れて生きることは簡単でしょう。虐待をした犬も隣にはいません。私はこの事実を言葉にすることで同じ立場にいる人や動物への意識、法律、社会、何かが変わるかもしれないと思ったから話しました。話せることが、変えられることが、自分の立場であるからこそあるのではと思ったからです。動物を虐待する人間としない人間は一生わかり合うことはできず、虐待をしない人間は一生虐待をしません。そして動物を虐待した人は虐待した罪の重さを一生分かることはできません。虐待した側だからです。そして動物虐待は遠い話ではなく身近に起きているということです。一生このことは許すことはできませんが、悲しみを違う形には変えられると思っています。今の愛犬は本当に元気です。虐待をされたことを完全に忘れているように思えます。