古市憲寿 芥川賞落選は「立候補したわけではないので」 (3/3ページ)

新刊JP

その違った人生を見られるとして、それが今の自分より幸せだったら嫉妬するし、不幸だったら応援したいと思うはずで、翔太はその延長なのかなと思っています。投影といっていいのかわかりませんが、「ここにいなかった自分への応援」のような気持ちはあります。

――富の象徴のような高層マンションと、それを掃除する就活に失敗した若者というコントラストが鮮やかです。翔太は高層マンションもそこに住む人もシニカルに見ていますが、それでもそこに通わざるを得ない…。

古市:太宰治の『富岳百景』という小説が頭にあったんです。富士山のことをシニカルに見ていた主人公が、人との交流を通して「富士山って悪くないな」と考えるようになっていくのですが、同じようなことを現代の東京で書けないかと考えました。

――富士山ではなく高層ビルで、ということですね。

古市:高層ビルもそうですし、東京の街並みもそうです。翔太は東京の街並みを醜いものだと思っていて、同じように東京を俗っぽいと考える老婆と出会う。その後の交流を通して、その印象が変わっていきます。

――老婆と翔太が大量の箱を積み上げて「街」を作るシーンはぐっとくるものがありました。

古市:他人からみたらゴミにしか見えない箱であっても、当事者にとってはすごく大事なものかもしれません。これは生き方も同じで、他人からどう見られようとかではなくて、自分にとって好きなもの、大切なものを見つけることが、実は幸せになるために一番大事なんだと思います。

――「偏見は取り下げる覚悟がある限りにおいて悪いものじゃない」など、老婆の言葉には印象に残るものが多くありました。彼女の言葉に古市さんの思いを託したという部分もあるのでしょうか。

古市:モデルというほどではないのですが、この老婆には「この人みたいな感じかな」と自分の中で思っている人がいて、その人が勝手に動き出したイメージです。

僕の思いや主張が入っていないとは言えませんが、彼女のセリフはあくまで、作品世界の中でその人が言いそうなこととして考えています。僕が言うのも何ですが、いい言葉ですよね(笑)。

後編につづく

「古市憲寿 芥川賞落選は「立候補したわけではないので」」のページです。デイリーニュースオンラインは、カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る