音楽に隠した抵抗精神…日本の心「演歌」、実は明治時代の自由民権運動の演説歌がルーツだった!? (2/4ページ)
しかし巨傑・西郷隆盛(さいごう たかもり)が西南戦争で敗死すると、武力闘争の限界を感じた不平士族らは、槍刀から言論へと武器を替えたのでした。
歴史の教科書でもおなじみ、ビゴーの諷刺画。
これが自由民権運動の始まりですが、お上のご意向の前には庶民の人権など無きに等しかった時代にあって、政治的な主張を行うことは文字通り命懸けのリスクでした。
そこで、唄と音楽で擬装した演歌というパフォーマンスで官憲の目をごまかし、民権思想の普及と同時進行で新たな同志のリクルート活動に努めたのです。
記録に残る活字と違い、その場で消えてしまう言葉(唄声)なので、摘発の証拠が残りにくい点でも、演歌は政治的ツールとして有利なのでした。
抑圧された者たちが、抵抗の心を音楽や演技でカムフラージュする様子が、南米の武術・カポエイラを彷彿とさせます。
「ダイナマイト、どん!」テロをも辞さぬ壮士たちの心意気かくして「オッペケペー節」「民権数え唄」など様々な演歌が生み出され、民意を踏みにじる藩閥政治が大いに批判される中、世直しのためとあればテロをも辞さぬ心意気を歌う者たちも現れました。
その先駆けと言われる「ダイナマイト節」では、このように唄われています。