原爆被爆者とは人だけではない。広島の報専坊に遺る被災樹木を調べてみた。 (3/5ページ)

心に残る家族葬



■被災樹木に認定され、切らずに済んだイチョウの木

いろいろな人と話をする中で、「ちっちゃいころ、この木の下でよう遊んだよのう」「私は髪の毛が抜けてしもうて、もうだめかと思うとったけど、広島じゃ75年間草木も生えんといわれていたのに、このイチョウもなんとか生きとる。私も生きられるんじゃないかと思うてきました」「残せるんなら残したいよのう」と語る人たちが多くいたことから、寺ではイチョウを残すことにした。そこで、「被災樹木」に認定されれば、木を切らなくて済むかもしれないという判断から、仰雲さんの長女・章子さんが広島市役所に連絡したところ、無事、認定を受けることができた。更に樹木医からのアドバイスを参考にしつつ、翌年、新たに建て直された建物に、イチョウを包み込むようなU字型の階段を設けたり、木は蒸れると弱ってしまうことから、幹の後ろ側の階段下にスリットを入れ、風通しを良くするための通気口を作ったりもした。報専坊のイチョウは、こうして、今日も勢いよく天に向かって枝を伸ばし、地下深くにどっしりと根を張りながら、地域の人々を見守っている。

■樹木とは

そもそも、樹木は「カミ(神)」と緊密な関わりがあるものだと考えられていた。それは古今東西の歴史の中で人々が、大雨・暴風・雷鳴・地震などの天変地異から逃れるために、山川草木を超絶的な心霊の権化、またはそうした心霊が宿るものであるとして、崇拝の対象としてきたことによる。

例えば日本においては、平成29(2017)年にユネスコの世界文化遺産に登録された福岡県の「宗像(むなかた)・沖ノ島(おきのしま)と関連遺産群」のひとつである宗像大社内の「高宮(たかみや)祭宮」は、神籬(ひもろぎ・樹木)を依代(よりしろ)として、三女神が降臨したと伝えられ、我々が知る一般的な神社の社殿が建立される以前に行われていた、古代の庭上(ていじょう)祭祀を継承する「場所」とされている。

また『日本書紀』(720年)では、661(斉明7)年、斉明天皇が朝倉宮(現・福岡県朝倉市)に遷都する際、神が祀られていた朝倉社の神木を切って宮殿を造営したことから、神の怒りを招いた。その結果、新造の宮殿は壊れ、鬼火が発生したり、そばに仕えていた人々が多数病死したりしたと記録されている。
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