怒り抑えきれず…「新古今和歌集」の選者だった藤原定家は暴力沙汰を起こしたことがあった!? (3/3ページ)

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その結果、承久2年(1220)の58歳の時に歌の理論上の違いから以前より口論していた後鳥羽上皇から謹慎処分を言い渡されてしまいます。

後鳥羽上皇も気性が激しい性格だったので、こうなることは必然でした。

後鳥羽院像/Wikipediaより

しかし、翌年に起きた承久の乱で後鳥羽上皇が流刑に処されると定家を取り巻く状況は一変し、悠々自適な生活を送れるようになったのでした。

最後に

歌聖と呼ばれるだけあって定家の性格は温厚と思っていたので、こういうエピソードから本来の性格が真逆だったことがわかり驚きでした。

自分を抑えることなく思ったことをやる定家は異端かと思うかもしれません。しかし、異端の方が誰も予想しなかったことを平然とやってのけるのも事実です。

だからこそ、定家は後世に残る歌人になったと考えてしまいますね。

参考:島崎晋『ざんねんな日本史』

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