すぐ先延ばししちゃう人必見!徳川家康のブレーン「林羅山」のごもっともな教訓に耳が痛い… (1/3ページ)

Japaaan

すぐ先延ばししちゃう人必見!徳川家康のブレーン「林羅山」のごもっともな教訓に耳が痛い…

「ダイエットは明日から」

なんて迷言があるように、一念発起したまではいいけれど、なかなか踏ん切りがつかないまま、つい月日が過ぎてしまうことは多いもの。

そんな失敗は昔の人々も変わらなかったようで、今回は初志貫徹して学問を修めた江戸時代の儒学者・菅得庵(かん とくあん)のエピソードを紹介したいと思います。

得庵少年、学問を志す

得庵は戦国末期の天正九1581年、播磨国飾磨郡蒲田村(現:兵庫県姫路市)で生まれました。本名は菅原玄同(すがわらの はるあつorげんどう)と言いますが、便宜上ここでは得庵で統一します。

林羅山。Wikipediaより。

さて、得庵少年はある年の大晦日、儒学者として高名な林羅山(はやし らざん)に弟子入りを申し込みました。

「……それでは先生、どうか来年からご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます……」

来年とは言っても大晦日ですから、要するに明日からと同じ意味なのですが、それを聞いた羅山は得庵をこう諭しました。

「なぜ来年からなどと言うのだ。昔から『少年老いやすく、学成りがたし』と言うではないか。ひとたび男子が志した以上、今すぐにでも始めようではないか」

とかく日本人は「キリの良さ」を求めがちですが、それで決断や実行を先に延ばし続け、気づいたら何も成し遂げないまま年齢ばかり喰ってしまった……そんな先人たちの後悔を、羅山はたくさん見て来たのでしょう。

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