国内では数少ない経済産業省から伝統工芸品として指定されている仏壇について (1/3ページ)

心に残る家族葬

国内では数少ない経済産業省から伝統工芸品として指定されている仏壇について

「諸国の家毎に仏舎をつくりて、すなわち仏像および経を置き、礼拝供養せよ」ーー日本書紀685年3月27日に記された天武天皇の勅命である。この時期から各地で持仏堂の建立が始まるが、持仏堂の建設は二つに派生していく。一つは、国分寺や平等院など仏像を中心にした仏殿の建築。そしてもう一つは、地方豪族の持仏堂から庶民の持仏堂へと広がっていくパターンである。ここで自身の屋敷内に先祖を祀り、礼拝の対象物としていた祠を屋内に迎え入れたことが仏壇のルーツとされている。

■江戸時代に仏壇は一気に普及

さらに、仏壇の普及は江戸時代に入ると一気に加速する。徳川家康は、キリスト教の禁制を次第に強化し、島原の乱後、全国の人民を一人残らずいずれかの寺院の所属とし、仏壇のない家は邪宗門として告発されるに至り、仏壇の設置が強制的に行われた。こうして仏壇は全国に普及していったのである。

■ 各地の仏壇の歴史と沿革

現在、15カ所の産地が経済産業大臣によって伝統的工芸品・仏壇として指定されている。そのほか、県知事によって伝統的工芸品産地に指定されている産地や、それに入らない産地も多いが、いずれも100年以上の歴史を持ち、古くから伝統工芸技法を守り続けている地域に他ならない。土地に根ざした伝統工芸は様々な変化を遂げ、その形を遷移させながら今なお日本固有の財産として息づいている。今回は、その中のいくつかを紹介したい。

■精巧で耐久力に優れている彦根仏壇

彦根は琵琶湖東岸にある井伊氏35万石の旧城下町である。彦根市新町の芹橋から近江鉄道彦根口駅まで多くの仏壇屋が軒を連ねている。17世紀(寛永)、京都から仏壇作りの技術が伝えられ、彦根もこの伝統工芸で栄えてきたが、運河沿いのこの場所は、護岸工事が弱く、長雨や豪雨により、歴史的な仏壇に関する古文書や経巻などが流失してしまい、見るべきものを残していない。その中で唯一残った足跡は、古くに作られた仏壇である。その「洗濯」と呼ばれる清掃の際に、分解した後板や台輪裏などから制作年代や作者の銘を見つけることができる。彦根仏壇は大型のものが多く、個品生産であるため、洗練されていて美術的価値も高い。

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