二刀流は浪漫!江戸時代、新選組で二刀流の達人と謳われた隊士がいた! (2/3ページ)
また慶応元年(1865)には諸子調役兼監察と撃剣師範に任命されます。
ちなみに諸子調役兼監察は平たく言えば、諜報活動(スパイ活動)と規律に反した者を処罰するために証拠集めをする仕事がメインの職務です。
その後武雄は慶応2年(1866)に土佐藩士が三条大橋に立ててあった長州藩を朝敵とする制札を抜こうとして起きた三条制札事件で目付役として活躍し、多額の恩賞金を受け取りました。
運命の油小路慶応3年(1867)3月甲子太郎が思想の違いから新選組を離れ、御陵衛士(ごりょうえじ)を結成すると武雄は平助や他の同志たちと共に御陵衛士に加入します。
同年11月15日に坂本龍馬が近江屋で暗殺されると武雄は龍馬のために歌を詠みました。
実のところ2人は一度も会ったことがないのですが、同日に甲子太郎が龍馬と会っていたのでその時に龍馬の人となりを聞いて詠んだのだと思います。
その3日後の11月18日油小路事件が起きます。新選組によって暗殺された甲子太郎の遺体を引き取りに行こうとした御陵衛士は激戦になることを予想します。
武雄は鎖帷子の着用を促しますが却下され、武雄のみが付けました。