クォーター侍!赤穂浪士の中には何と古代中国の思想家・孟子の末裔がいた! (3/4ページ)

Japaaan

 吉良邸討ち入り/Wikipediaより

近くの炭小屋を唯七たちが射かけると2人の武士が飛び出してきました。その2人を斬り捨てると白髪の老人が脇差を突きたてながら飛び出して来たので間光興(はざまみつおき)が初槍を浴びせ、唯七が2番太刀を浴びせ絶命させました。

 『義士四十七図 間光興十次郎』/Wikipediaより

検死の結果、吉良上野介とわかるとその功績から2番目に長矩へ焼香をあげることができました。

討ち入り後、唯七は毛利家の屋敷で預けられることになります。そして江戸幕府の命令により切腹。32歳の生涯に幕を閉じます。

また唯七は赤穂浪士の中で、唯一漢詩で辞世の句を残しています。

「クォーター侍!赤穂浪士の中には何と古代中国の思想家・孟子の末裔がいた!」のページです。デイリーニュースオンラインは、武林唯七赤穂浪士江戸時代中国カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る