モテる女子がモテる理由は「当たり前のことができているから」
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今夜はちょっと、恋の話をしよう
今回は、「どうすればモテるのか」という、もうすでに多くの人によって言い尽くされているテーマを、少しちがった方向から、一緒に考えてみたいと思います。
どうすればモテるのか?たとえばモテている女子はどういうことをしているのか、観察してみると、よく理解できますよね。
たとえば、気になる男子に好かれやすい女子は、じぶんから挨拶します。大学の広い教室で出会おうと、就職説明会の会場で出会おうと、合コンで出会おうと、会社のなかで出会おうと、モテる女子は「この男子、いいな」と思えば、じぶんから「こんにちは」とか「お疲れ様です」と声を掛けます。
ほかにもモテる女子の特徴としてよく言われることは、「他人の悪口や愚痴を言わない」とか「汚い言葉を使わない」といったようなことです。
どれもごく当たり前のことを言っていますよね。なので、この「当たり前」ができる人とできない人のちがいに言及することが、本当の意味で「モテる女子のモテる理由」を探ることになるのではないかと思います。
たとえば「当たり前と思う『分量』のちがい」ではないかと思います。分量のちがいというのは、たとえばこういうことです。
たとえば、「いいな」と思ったらじぶんから挨拶をする、ということを、100%当たり前と思っている人は、素直に挨拶をします。
が、そこにたとえば「恥じらい」が40%くらいあるのが当たり前と思っている人は、「挨拶するのが当たり前」という気持ちの分量が60%しかない、ということ。つまり誰もが当たり前と思っていることに、たとえば恥じらいという、いわば余計なものを含ませている人がいる、ということ。
こういうことって、あまり世間では言われません。おそらく大多数の人が、「挨拶をするのは当たり前、以上、おわり」と考えているのだろうと思います。
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もっとわかりやすい例を挙げるなら、浮気をする人。浮気をするときは、じぶんのメリット(気持ちいいなど)と倫理とが、ふつうは心のなかでたたかいます。
しれっと浮気しちゃう人は、倫理の割合がすごく少なかったりします。だから楽しいことや気持ちいいことを、しれっと、ごはんを食べるかのごとくできちゃうんですよね。
挨拶もおなじことです。挨拶するのは「当たり前」という気持ちと、恥じらいとを、どういう割合で考えると、「ちょうどいいのか」。これは誰も教えてくれません。そもそも世間的に「当たり前」なことって、多くの人はこんなふうにややこしく考えないから。
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だから、当たり前ができない人は、いつまでも「できる人」をモデルケースに「学習」するしかなくなるのです。学習というのは、たとえばこの手の恋愛サイトによく載っている「モテ女子に見る**の方法」みたいなコラムを読む、ということ。
そういうのを読むのも大切なことですが、じぶんが当たり前と思っていることに、なにか余計なものが含まれていないか、考えてみることです。挨拶するのは当たり前、という常識に、恥じらいが含まれている人は、「なぜ恥ずかしいと感じてしまうじぶんがいるのか」を考えてみることです。するとたとえば人見知りをするようになったきっかけにぶち当たることがあります。
このきっかけがわかると、不思議なことに、「100%当たり前に」挨拶ができるようになります。おそらくじぶんで、じぶんのことを客観的に見ることができるようになるから、でしょう。(ひとみしょう/文筆家)
(ハウコレ編集部)(三方優加/モデル)(gaku/カメラマン)