拷問は蛇つかみ?熱石拾い?飛鳥時代の日本人はどのような暮らしをしていたのか

Japaaan

拷問は蛇つかみ?熱石拾い?飛鳥時代の日本人はどのような暮らしをしていたのか

『隋書』東夷伝は、倭国の政治制度や社会、風俗が記され、7世紀前半の日本の様子を知るうえで貴重な資料となっています。7世紀前半頃の日本人が、どんな暮らしをしていたのか。みなさんは想像がつきますか?

服装や食生活は?

同書によると、例えば服装なんかは、男性は肌着をつけ、袖は小さく、漆を塗った浅い木の履を足にくくりつけていると紹介されていました。そして、頭には冠をかぶることはなく、髪を両耳に垂らしていたとのこと。

一方、婦人は、髪を後ろに束ね、肌着をつけていたとあります。そして、竹を薄くそいで櫛とし、草を編んで敷物としていたそうです。

また、食事は、皿や食卓はなく、カシの葉を敷いて手で食べたようです。結婚は自由恋愛で行われ、花嫁が初めて夫の家に入るときには、必ず火をまたぐ習慣があったそうで、これなんかは非常に興味深い風習ですよね。

また漁獲の方法として鵜飼が行われ、囲碁、双六などの博打が好まれていたそうです。

政治や刑罰事情

同書には、政治についての記述もあり、それによれば、地方の政治には地方長官のような存在が120人いて、その下に80戸に1人のリーダーがいるという二段階の行政組織が存在していたとあります。

もちろん、刑罰についてもある程度整っていたらしく、殺人、強盗、姦通は死罪。そして、窃盗には財産刑が課されていました。財産のないものが窃盗した場合、被害者の奴婢になったそうで、かなり厳しいきまりが取り決められていたことが分かります。

またこのころから、罪状の軽重によって流罪や杖罪もありました。犯人の取り締まりの際には、熱湯の中の小石を拾い上げさせたり、甕のなかのヘビをつかまえさせるといった拷問も行われていたそうです。

このように『隋書倭国伝』を読み解いていくと、現在の我々にはまるで別の国のことかのような錯覚を得ているような気分になります。

もちろん、そのすべての記述が真実かどうかということは、改めて検討していかなければなりませんが、このような過去の公的な記録が、当時の中国人に対する日本人のイメージ形成に関係したということを、覚えていても損はないとおもいます。

参考:『魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝 新訂』石原道博(翻訳)

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「拷問は蛇つかみ?熱石拾い?飛鳥時代の日本人はどのような暮らしをしていたのか」のページです。デイリーニュースオンラインは、隋書飛鳥時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧