「東洋のガラパゴス」小笠原諸島を大発見した戦国武将とその子孫のエピソード【後編】 (3/4ページ)
また、南町奉行所は小倉藩主(現:福岡県北九州市)となっていた小笠原宗家に「小笠原宮内という者をご存じか」と確認したところ、面倒ごと(詐欺の連座)を懸念した小笠原宗家からも見放されてしまいました。
しかし、訴えが認められないのは仕方ないとしても、無人島に関する幕府の報告書を引っ張り出して照合するのに7年もかかるというのは、さすがにお役所仕事というか、一度は下りた渡航許可に勇躍出航していった甥っ子の長晁が不憫でなりません。
エピローグこの一連の騒動が世に広まると、それまで無人島(ぶにんじま)と呼ばれていた島々がいつしか「小笠原諸島」と呼ばれるようになり、祖先の名前を残すことができた宮内の訴えは、決して無駄にはなりませんでした。
また、小笠原諸島の父島には発見者と伝えられる貞頼を祀った「小笠原神社」が創建され、敗戦・占領期に米軍によって破壊されたものの、返還後に再建。
今でも毎年7月26日、かつて貞頼が小笠原諸島を発見したとされる日に例大祭が執り行われ、その遺徳が偲ばれています。