念仏講から派生した念仏講まんじゅうが災害伝承の一助となったという話 (2/3ページ)

心に残る家族葬



■葬儀離れと講の減少

最近の葬儀は葬儀社による会館葬が中心になっており、散骨など個人的または内々で終わらせることも多くなってきている。しかし葬儀の意義として遺族のグリーフワークということがある。葬儀というものは忙しく、遺族も悲嘆に陥る暇はない。身辺が落ち着いたあとで死者の不在をしみじみ感じ入る頃には初七日四十九日などの法要が待っている。悲嘆に陥らないための先人の知恵としての面もあるのだ。通夜、葬儀が終わったあとの夜などに行われる枕経としての念仏講も同様のワークとしての役割があるといえる。しかし、葬儀の変化につれ、念仏講のような慣習も減少の一途を辿っている。

しかし、そもそも念仏講は本来葬儀・法要そのものとは別に行われることがほとんどであり、葬儀などの形式とは基本的には関係ない。そして、供養以外にも地域コミュニティとしての機能を、現代にも活かされた事例がある。

■念仏講まんじゅうとは

昭和57年7月23日、長崎を集中豪雨が襲い長崎市芒塚地区では土石流などにより17人の犠牲者が出た。これに対し隣接する太田尾町山川河内地区は、同じく土石流に襲われ家屋等に被害が出たものの、負傷者はゼロであった。これは住民たちの自主避難によるものであり、その後も集落では、共同炊事などで復旧作業を行い、地域の共助で生活を取り戻した。その行動の背景には「念仏講まんじゅう」という慣習が根付いていたのである。

この地区は万延元年(1840)、土砂災害により33人の犠牲者を出した過去があった。それ以来、犠牲者の供養と災害を忘れないため、毎月14日に住民たちの持ち回りでまんじゅうを配る「念仏講まんじゅう」が行われるようになった。この災害が発生したのは4月8日(新暦5月28日)だが、供養が営まれたのが4月14日であるため、14日を月命日として念仏講が始まった。そしてこの50年ほどにまんじゅうが配られるようになり「念仏講まんじゅう」と呼ばれた。これが「災害伝承」として地域のつながりを保ち、災害リスク軽減に大きな役割を担っていたのだ。その一方、古い慣習に基づくコミュニティ活動が減少傾向にある昨今の波にはやはり逆らえないようで、地元では転換期を迎えている。
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