歴代総理の胆力「鈴木貫太郎」(1)「軍人は政治に関与すべからず」の信念 (1/2ページ)

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歴代総理の胆力「鈴木貫太郎」(1)「軍人は政治に関与すべからず」の信念

 太平洋戦争の戦局がいよいよ不利となり、東条英機政権が崩壊やむなしで次に担ぎだされたのが、陸軍出身、朝鮮総督の小磯国昭だった。しかし、小磯はまさに、「ひねり出された総理」と言えた。時に、知略に富んだ陸軍出身の軍人たちは前線に出ており、「人材不足」の中でお鉢が回ってきたということだった。

 その小磯総理は参謀本部から相手にされず、一方で軍務にも携われずというテイタラクの中で、何の戦略、行動力も持ち得ず、ただただ時間を空費する間に沖縄戦、本土空襲と、敗戦をより色濃くしていくのを見守るだけであった。そのうえで、やっと辞表を提出したのは、戦艦「大和」が撃沈された日(昭和20年4月7日)であった。

 その小磯内閣のあまりの弱体ぶりの反省もあり、後継として担ぎ出されたのが、時の枢密院議長の鈴木貫太郎である。当初、東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)も後継候補に挙がったが、終戦となった際、皇室に累が及ぶことを避けたいという意向から鈴木に回ったということだった。すでに退陣していた東条英機は、後継を陸軍出身者に拘泥したが、鈴木なら天皇の意向を方向づけられるとした若槻礼次郎、岡田啓介ら総理経験者などが連携、海軍の長老で侍従長経験のあった鈴木に“白矢”を立てたということであった。

 その鈴木への期待は、まず戦争の本土決戦を回避、終戦への道筋をつくることであった。結果、「ポツダム宣言」受諾への道を開いた。

 世界史上、戦争はその終結ほど難しいものはないことが証明されている。戦争の幕引きは、開戦、戦時中とは比べようもない困難、ともなっての政治的エネルギーを要求される。結婚はさして難しくはないが、離婚という“幕引き”には当事者いずれもが悩み抜き、膨大なエネルギーを使うのによく似ているのである。それをクリアー、総理在任期間わずか133日にして戦争収拾に導いた鈴木のリーダーシップは、岡田元総理の「身を持するに厳、人を待つに寛、事を処するに剛毅沈勇」の鈴木評の言葉に集約されると言っていいのである。

 加えるなら、その前半生を海軍一筋でやってきた鈴木には、一貫して「軍人は政治に関与すべからず」の信念があり、もとより政治的野心はゼロ。

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