プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「小林邦昭」日本を_熱狂させた“虎ハンター”の軌跡 (1/3ページ)

週刊実話

 初代タイガーマスクの三大ライバルとしてダイナマイト・キッド、ブラック・タイガーと並び称される小林邦昭。
 マーシャルアーツ風の赤いパンタロン姿で回転蹴りを放ち、禁断のマスク剥ぎにかかるその姿は、今もなお多くのファンの記憶に刻まれている。

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 悪役レスラーほど善人が多いというのはプロレス界ではよく言われることで、確かに根っからの悪人が凶器を持って暴れたときには、傷害事件にもなりかねない。
「反則攻撃などで観客をヒートアップさせつつも、相手に大ケガをさせるような試合に支障をきたさない程度のギリギリの線を狙う。性格の善し悪しはともかく、最低限の常識なり配慮が求められることは間違いないでしょう」(プロレスライター)

 そのためファンの間でも「実はあの選手がいい人で…」というような噂話がよくされるが、そんな中でも“善人確定”と言えそうなのが小林邦昭だろう。

 国民的ヒーローだった初代タイガーマスクのライバルとして、マスク剥ぎをもっぱらとしていた頃は、タイガーのファンから目の敵にされていた。脅迫状やカミソリ入りの手紙が頻繁に届き、それで手を切ってかなりのケガを負ったとの逸話もある。

 しかし、引退後は新日本プロレス道場の管理人となり、料理をふるまうなど新人たちの面倒を見ていて、それが10年以上にわたって続いているという。

 一時期はスイーツ作りに凝っていたため、練習生たちが太ってしまったという女子力高めのエピソードからは、昭和の時代に“虎ハンター”として憎まれていた頃の姿はうかがえない。

 マスク剥ぎも本当に素顔を露出させれば終わりなわけで、そのあたりの程のよさも小林の人間性を表しているようではある。

 1972年、高校を中退して旗揚げ直後の新日に入門した小林は、翌年の栗栖正伸戦でプロデビューを果たしたものの、長らく前座生活が続く。特別に体が大きいわけでもなく、ルックスも特段よくもなければ悪くもない。空手をやっていたというが、これもプロで実績を評価されるほどではない。入門時に16歳と若かったことを思えば、じっくり修行を積むのも当然の成り行きではあった。

 だが、厳しい前座生活の中で、後輩に追い抜かれるとなると話は違ってくる。

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