諸行無常の響きあり…裏切りに絶望した悲劇の貴公子・平清経の生涯(下) (2/3ページ)
まるで網にかかった魚のように、どこへも逃げる場所はない……かくなればこれ以上、生き恥を晒しとうない」
清経は船室から甲板へ出ると、得意の横笛を奏でて好きな和歌を朗詠しますが、その和歌については残念ながら記録が残されていません。しかし美意識の高そうな清経ですから、さぞや美しい和歌を、美しく詠み上げたことでしょう。
心ゆくまで笛と歌を味わった清経は、やがて心を静めて読経念仏を唱え、初冬の海へと身を投げたのでした。
月の綺麗な夜でした(月岡芳年「月百姿 平清経 舵楼の月」より)。
時は寿永三1183年10月、享年21歳。月の美しい夜であったと伝えられます。
エピローグ清経が身を投げたのは豊前国柳浦(現:大分県宇佐市柳ヶ浦)の沖合と言われており、現代では駅館川(やっかんがわ)の河口付近に、清経を弔う五輪塔と慰霊碑が建立されています。
これらは清経の父・重盛が「小松殿」とあだ名されたことから「小松塚(こまつづか)」と呼ばれていますが、父に仕えてその恩義に与っておきながら、その息子を裏切った惟義らに対する当てつけなのでしょうか。
裏切りに絶望し、冷たい海に身投げをした貴公子の悲劇は広く世間の反響を呼び、後世に室町時代の能楽師・世阿弥(ぜあみ)が清経をテーマにした能「清経」を演ずるなど、芸術分野に影響を与えています。