貞女は二夫にまみえず!陰謀から御家を守り抜いた戦国時代の女城主・清心尼(一) (2/3ページ)
典型的な政略結婚ではありましたが、子子子と直政の間には一男二女(久松-ひさまつ、福-さち、愛-めご)が生まれ、二十年近く幸せな家庭生活を過ごしていたのですが……。
夫と長男に先立たれ、出家して家督を継承慶長十九1614年6月、徳川家康の命によって越後国高田城(現:新潟県上越市)の普請に当たっていた直政が、任務を終えた帰途に病没してしまいました。享年28歳。
不幸なことは重なるもので、まだ幼い長男・久松も父の後を追うように夭折。これで八戸氏には男子がいなくなってしまいました。
このままでは御家断絶……どうしたものかと悩んでいると、南部宗家の主君・南部利直(なんぶ としなお。信直の嫡男)から再婚の縁談が持ちかけられました。
「子子子殿はまだお若いゆえ、直政殿に生涯操を立てるより、御家の存続を図るべきと考えるが……いかがであろう。毛馬内(けまない)殿のご子息を婿養子に迎えられては……」
毛馬内氏は八戸氏と同じく南部氏の一族に当たり、その中でも南部宗家と親しく、いわば息がかかった勢力でした。
いわば「女手一つで家を切り盛りするのは難儀であろうから」というお為ごかしに、体よく八戸氏を南部宗家に取り込もうとしているのは明白です。