貞女は二夫にまみえず!陰謀から御家を守り抜いた戦国時代の女城主・清心尼(完) (3/4ページ)

Japaaan

ここでいっときの怒りに任せて兵を挙げれば、婿殿らの生命は無論のこと、我ら八戸氏が代々にわたって尽くしてきた忠義まで無に帰する……それよりは、たとい如何なる困難であろうと耐え忍び、遠野の地を見事に治めて宗家を見返してやろうではありませぬか」

清心尼の覚悟を前に、家臣たちは怒りのやり場を失いつつありました。しかし、未だくすぶる顔色を見た清心尼は、こうも加えました。

ほくそ笑む清心尼(イメージ)。

「それに……同じ謀叛するのであれば、この北の果てで独り拳を奮うよりも、伊達や阿曽沼一族と手を取り合(お)うた方が、事も優位に進もうぞ。『我らの意思一つで、遠野の地は伊達の手に落ちる』と思えば、南部宗家も我らを粗末にできまい」

表向きは従いながら、いざとなればより有利な条件で謀叛を起こしてやろう。そう思えばこそ、遠野への転封を前向きに受け入れることが出来ます。

(尼御台様は、なかなか話の解るお方じゃ……!)

多くの家臣たちがそう思い、内心ニヤリとしたことでしょう。

かくして清心尼たちは父祖伝来の根城を離れ、南へおよそ三十三里(約130km)の遠野へと赴任したのでした。

その後・遠野にて

さて、遠野に赴任した清心尼たちは、戦乱で荒れ果てていた横田城(よこたじょう。護摩堂山にあったため護摩堂城とも)を鍋倉山に移転、鍋倉城(なべくらじょう)と改称します。

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