桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った服部小平太と毛利新介…その後の人生どうなった?【三】 (2/6ページ)
毛利新介のプロフィール・誕生から桶狭間まで
【実名】毛利秀高(もうり ひでたか)⇒良勝(よしかつ)
【通称】新介(しんすけ)⇒新左衛門(しんざゑもん)
【生没年】生年不詳(天文九1540年前後?)~天正十1582年6月2日
【官位】なし
【主君】織田信長⇒織田信忠
【家族】不明
義元の背後からしがみつく毛利新介(ここでは新助秀詮となっている)。月岡芳年「桶狭間合戦稲川義元朝臣陳歿之図」より。
新介も尾張国の出身と言われていますが、その出自についてはよく知られていません。若くして信長の馬廻となっていることから、恐らく小平太と同年代(桶狭間の時点で15~25歳ごろ)と考えられます。
また一説には小姓であったとも言われ、信長の性愛対象≒美男子であったのかも知れません。
桶狭間の決戦では小平太に一歩後れをとるものの、いざ追いついてみると、態勢を崩した小平太を斬ろうと太刀を振りかぶる今川義元が、こちらに背中を向けています。
我が身に槍を突き立てられた怒りで周りも見えず、ただ小平太一人を睨み据えている義元は、こちらに気づいていません。