桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った服部小平太と毛利新介…その後の人生どうなった?【三】 (3/6ページ)

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これは千載一遇の好機、と背後より義元に斬りつけた新介ですが、我に返った義元は猛然と新介に取っ組みかかり、新介の手指を食いちぎる執念を見せます。

最終的には義元の首級を上げた新介ですが、小平太ともども体じゅうボロボロ。膝を斬られた小平太は歩行が困難に、指を食いちぎられた新介は刀を握る力が入らない、後遺症が残ってしまう苦い勝利となりました。

秘書的存在として信長をサポート

とは言え「海道一の弓取り」と称された大大名・今川義元を撃破したことで、信長の前途が開けためでたい逆転勝利ですから、織田家中はしばし祝賀ムードに酔ったようです。

新介は武功によって左衛門尉(さゑもんのじょう)の位を与えられたため、通称を新介から新左衛門(しんざゑもん)に改め、また諱(いみな。本名)もそれまでの秀高から良勝(よしかつ)に改めました。

その後、永禄十1567年に馬廻の中でも特に選りすぐりの「母衣衆(ほろしゅう)」が創設されると新左衛門も黒母衣衆(2チーム制で、黒母衣衆と赤母衣衆が存在)に抜擢され、陰に陽に信長のそば近くに仕えます。

「長篠合戦図屏風」より、赤母衣と黒母衣。

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