豊臣秀頼は二人いたんです!秀吉が公認した「もう一人の豊臣秀頼」ってどんな武将だったの?【一】

Japaaan

豊臣秀頼は二人いたんです!秀吉が公認した「もう一人の豊臣秀頼」ってどんな武将だったの?【一】

豊臣秀頼(とよとみ ひでより)と言えば天下人・豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の後継者として多くの歴史ファンにその名を知られている人物ですが、実はもう一人「豊臣秀頼」がいたことをご存じでしょうか。

ご存じ豊臣秀頼。Wikipediaより。

それもたまたま同姓同名という訳ではなく(※そもそも豊臣という姓自体、おいそれとは名乗れません)、何と秀吉の公認です。

いったいどんな武将で、どんな人生を送ったのか、少し気になるところ……そこで今回は、戦国時代を生きた「もう一人の豊臣秀頼」について紹介したいと思います。

守護代・織田大和守の謀叛で父を失う

秀頼は天文十1541年、尾張国(現:愛知県西部)の守護・斯波義統(しば よしむね)の次男として誕生しました。

幼名は不明、『信長公記』によれば「幼君(おさなぎみ)」と記されているので、ここでは元服まで便宜上「幼君」とします。

当時、斯波家は室町幕府に認められた守護として尾張国を支配していましたが、実権は守護代の織田家に握られた傀儡(かいらい。操り人形)状態であり、その織田家も内部での争いが絶えない群雄割拠状態となっていました。

※後に尾張国を統一し、天下布武を謳って覇業を立てた織田信長(おだ のぶなが)は、現時点ではまだ織田一族の分家に過ぎない立場です。

傀儡状態に嫌気が差した義統は、自分を傀儡にしている織田大和守こと彦五郎信友(おだやまとのかみ・ひこごろうのぶとも)を追い出すため、大和守と対立していた信長と内通

大和守は信長の家督継承に伴う混乱に乗じて戦争を仕掛けるも返り討ちに遭い(萱津の戦い。天文二十一1552年8月16日)、一発逆転を狙った信長暗殺計画もリークされたため、信長に本拠地の清洲城を焼き討ちされてしまいます。

怒りに燃える織田大和守(イメージ)。

「おのれ!何ゆえ斯くもことごとく失敗するのじゃ?……もしや……!」

追い詰められた大和守は躍起になって犯人を捜した挙句、義統の裏切りを知って逆上。そして天文二十三1554年7月12日、ついに義統を弑逆(しいぎゃく。目上の者を殺すこと)してしまいます。

信長の支援で仇討ちを果たすものの……

「何とっ、父上が!?」

義統の死を知らされたその長男・岩竜丸(がんりゅうまる)と幼君は当時狩りに出かけており、そのまま信長のいる那古野城へ逃げ込んで庇護を求めました。

「三郎(信長の通称)。尾張守護の嫡男としてそなたを尾張守護代に任ずるゆえ、父の仇である大和守を討ち参らせよ!」

助けを求めておきながら随分と偉そうな態度ですが、実際に守護は偉いのであり、その嫡男である岩竜丸を奉ることで尾張国を統一する大義名分が得られるのですから、信長はほくそ笑みつつ唯々諾々と従います。

尾張統一の野心を秘めた織田信長。Wikipediaより。

「……御意(ぎょい)」

信長から二百人扶持(※)を与えられた岩竜丸は元服して斯波義親(よしちか)と改名。一方の幼君は織田家臣の毛利十郎(もうり じゅうろう)の養子となり、元服して毛利長秀(もうり ながひで)と改名します。

長秀という名前は毛利一族の通字(一族で共有する漢字)である「秀」に、信長から賜った「長」の字を冠したものと考えられ、尾張守護の嫡子に対する配慮よりも、少年に対する期待が込められているように感じます。

(※)扶持とは成人男性が一年に食べるとされる玄米の量で、江戸時代を参考にすると一石八斗(1,800合≒270kg)、ここではそれが200人分収穫できる土地を意味します。

その後、天文二十四1555年4月20日に父の仇である大和守を討ち果たし、正式に尾張国守護となることができました。

しかし実際の政治は一事が万事信長に仕切られており、これでは斯波家の操り主が大和守から信長に変わっただけで、まったく面白くありません。

「おのれ三郎、尾張守護を見くびりおって……」

岩竜丸あらため斯波義銀、Wikipediaより。

義親は信長に仇討ちを助けてもらった恩義も忘れ、反・信長に転じた密かな決意表明なのか今度は斯波義銀(よしかね)と改名。それまで対立していた三河国(現:愛知県東部)の吉良氏らと結託して信長追放を企みますが、露見して逆に追放されてしまったのでした。

【続く】

参考文献

谷口克広『尾張・織田一族』新人物往来社、2008年 谷口克広 監修『織田信長家臣人名辞典』吉川弘文館、1995年 黒田基樹『羽柴を名乗った人々』角川選書、2016年

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「豊臣秀頼は二人いたんです!秀吉が公認した「もう一人の豊臣秀頼」ってどんな武将だったの?【一】」のページです。デイリーニュースオンラインは、毛利長秀豊臣秀頼武士戦国武将戦国時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る