豊臣秀頼は二人いたんです!秀吉が公認した「もう一人の豊臣秀頼」ってどんな武将だったの?【五】 (1/2ページ)
これまでのあらすじ
時は戦国、天正十1582年6月「本能寺の変」で主君・織田信長(おだ のぶなが)を失った毛利長秀(もうり ながひで)は、先ほど滅ぼした武田の残党・下条頼安(しもじょう よりやす)らによって居城(飯田城)を追われてしまいます。
頼安へのリベンジを誓った長秀は「頼安の頭文字(頼)を、我が名・長秀の尻(秀)に敷いてくれよう」という思いから「秀頼(ひでより)」と改名。
織田政権の後継者として台頭しつつある羽柴秀吉。彼に賭けた秀頼の運命やいかに。
そして織田政権の後継者として台頭していた羽柴秀吉(はしば ひでよし。後の豊臣秀吉)に逸早く臣従、反・秀吉勢力を次々と調略して斬り崩し、秀吉の天下統一をサポートしていくのでした。