身代わり伝説は本当か?今も眠る源義経の首級と胴体の「謎」を紹介【上】 (2/3ページ)
そんな「悲劇のヒーロー」ぶりが日本人の同情を誘い、義経公の官位から「判官贔屓(はんがんびいき。立場の弱い者に肩入れしたがる心情)」という言葉まで生まれました。
義経公の首級は鎌倉・腰越に送られ、首実検(くびじっけん。首級が本人のものか確かめること)の後に海へ捨てられたところ藤沢の地に流れ着き、哀れに思った地元民がこれを埋葬(付近には義経公の首級を洗い清めたと伝わる井戸も残っています)。
そのことを知った頼朝公は、自ら討たせたとは言え弟を哀れに思い(あるいは祟りを畏れて)、義経公を源氏の守り神・白旗明神(しらはたみょうじん。白旗は源氏の軍旗=象徴)として近くの寒川神社(相模国一宮より勧請した分社)に合祀させ、それが現在の白旗神社となったそうです。
「義経公」の胴体が眠る判官森さて、義経公の首級が藤沢の地に眠っている一方で、残された胴体はどうなったのでしょうか。
伝承によると、義経公の胴体は判官森(はんがんもり。現:宮城県栗原市栗駒沼倉)と呼ばれる山に埋葬され、胴塚(どうづか。胴体を埋めた墓)には石碑や五輪塔などが残されていますが、少し考えるとおかしなことに気づきます。
そう、義経公が自害したのは奥州平泉の高館(たかだち。