プラトニズムとカトリシズム それぞれの肉体観の比較 (3/3ページ)
プロテスタント神学者 ルドルフ・ブルトマン(1884~1976)は、聖書の奇跡などの記述は現代では受け入れられないとして哲学的に解釈する、聖書の「非神話化」を説いた。同じくプロテスタント系の宗教哲学者 ジョン・ヒック()1922~2012)はキリストの受肉は「メタファー(比喩)」だとはっきり述べている。
理性的な立場ではあるが、理性と論理の極みともいうべき哲学や数学を構築したギリシャ・ローマの人々が、なぜキリスト教のような不合理な教義に飲み込まれたのかを考える必要がある。諸説あるところだが、筆者はそのひとつは肉体観にあると考える。尊くかつ不完全な肉体は「創られたもの」であるという認識と、それを創造した神の存在。やがて肉体が朽ち果てる死という、哲学のクールな抽象的分析では克服できない絶望。人々はキリストの「事実」を根拠とする肉体の復活に、死のその先の未来を提示され希望を見いだしたのではないだろうか。
■最後に…
人生の最期は肉体的苦痛に襲われることが多い。ガンなどとの闘病の末にやっと死という救いが訪れる。しかし医学の発達はその救いを中々与えなくなってきており、安楽死や尊厳死の合法化が議論されるのは当然の流れだろう。カトリック教会は神に与えられた肉体を尊重する立場から、自殺や安楽死などに反対の立場を取っており賛否を呼んでいる。最近では厚生労働省が、終末期医療に向けて患者自身と家族とが、今後どうするかを話し合う「人生会議」なるコンセプトを提唱している。終末期医療における宗教の役割を考えるとき、滅びゆく「肉体」とは何かを改めて考える時期にきているのではないだろうか。
■参考資料
■稲垣良典「現代カトリシズムの思想」岩波書店(1971)
■プラトン著/岩田靖夫 訳「パイドン」岩波書店(1998)
■エド・レジス著/大貫昌子 訳「アインシュタインの部屋 天才たちの奇妙な楽園 上」工作舎(1990)