プラトニズムとカトリシズム それぞれの肉体観の比較 (1/3ページ)
宗教には肉体軽視のいわゆる「霊主肉従」の傾向がある。ある宗教は霊魂・他界の存在を説き、またある宗教は諸行無常を唱えて有限なるこの世の儚さを説いた。宗教が、死という滅びが必ず訪れる肉体を軽視し、肉体を超越した価値を提供するのは当然といえる。しかし肉体軽視は必ずしもすべての宗教に共通するものではない。本稿では肉体軽視の思想をギリシャ哲学の一大潮流であるプラトニズム、肉体尊重の思想をギリシャ最大教派・ローマ・カトリックを例にして比較した。
■プラトンの肉体観
西洋での肉体軽視の歴史は古い。プラトン(BC427~347)は肉体を「魂の牢獄」とまで言う。
ー 哲学者というのは、普通人とはちがって、魂を肉体との結びつきからできるだけ解放しようとする者だ(パイドン)
肉体はやがて朽ち果てる。プラトンによればそれはこの世界が仮の世界で、形ある有限な存在だからだ。仮の世界ではない本当の世界の存在をプラトンは「イデア」と呼ぶ。イデアは「数」そのもの、「善」そのものといった抽象的存在で、プラトンはイデアは真の世界として「存在」していると説く。そのような形を持たない究極的抽象的存在には寿命も限界もない。そのイデアを人間が認識し語ることができるのは、やはり無形・無限の存在である「魂」が感応しているからである。有限なる肉体から解放された魂は、純粋な存在として、真の存在「イデア」と直接交わることができるという。このようにプラトニズムとは肉体軽視の思想である。やがて滅びゆく肉体よりも永遠なる魂を重視するのは当然ともいえる。
プラトニズムは現代に至るまで大きな影響を与えている。学問には形のない抽象的なものほど高級だという見識がある。プラトニズム的見識では、工学より理論物理学、理論物理学より純粋数学がより高級とされ、「数」の仕組みを研究する整数論は「数学の女王」と言われるほどだ。アインシュタイン(1879~1955)は数式に比べて現実の宇宙空間にはほとんど興味を示さず、胸ポケットの万年筆を指して「私の宇宙はここにある」と言ったという。より本質に近づくほど抽象に近づくことであるとする学問の考え方はプラトニズムが源泉となっている。しかし、後にギリシャ・ローマ文明を飲み込むことになるキリスト教では大きく異なる。