史実なのはあの痴情事件だけ?話盛りすぎな幕末の大岡越前エピソード集「大岡政談」 (2/2ページ)

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被害者の訴えで、企みが明らかになると、主犯のお熊は市中引き回しの上、獄門磔という当時としては最も厳しい罰が与えられたほか、次々と関係者が処罰されました。

事件の発生から処罰まで、よほど当時の人々の興味を惹きつけたのでしょう。後にお熊は、人形浄瑠璃や歌舞伎のヒロインにもなります。

「大岡越前守 坂東彦三郎」豊原国周 画

晩年には徳川吉宗の葬儀の諸事も手配した大岡は、病気を理由に一切の幕府の役職から離れ、1651(宝暦元)年12月19日、病気によりなくなってしまいます。

実際の大岡は「大岡政談」に書かれるような英雄的な存在ではなかったのかもしれません。実際、大岡自身が記した日記を読んでも、真面目で几帳面な性格の持ち主だったようです。

ですが、その努力型の真面目な人物だったからこそ、彼が町奉行から大名にまで出世できた秘訣なのかもしれません。

参考

大石学『大岡忠相』(2006 吉川弘文館人物叢書) 「大岡政談 白子屋お熊」『砂村陰亡丸の余苦在話』

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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