知らずに身売り契約書にサイン…アメリカで奴隷生活も体験した総理大臣・高橋是清の壮絶人生【上】 (1/3ページ)

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知らずに身売り契約書にサイン…アメリカで奴隷生活も体験した総理大臣・高橋是清の壮絶人生【上】

昭和のはじめ、大不況にあえぐ日本経済を見事に立ち直らせ、「財政の神様」とまで呼ばれ男・高橋是清(たかはし これきよ)。1854年、江戸で生まれて1936年に二・二六事件で暗殺されるまでの彼の人生は波乱万丈そのものでした。

高橋 是清(Wikipediaより)

生後すぐに仙台藩の足軽・高橋家に里子として出された是清は、3歳のときに高橋家の正式な養子となり、11歳のとき、横浜へ派遣され英語を学習しました。ちょうど、ペリー来航をきっかけに外国の事情を理解するべきだという気運が国内で高まっていた頃のことでした。

若い武士に洋楽を学ばせようと、周囲も期待して送り出しました。ところが、横浜にあるイギリス系の銀行で働き始めてからは、英語以外にも飲酒というあまりよろしくない習慣まで身につけてしまいました。

「私は13歳の子どもであったが、その時分から老けて見られ、体も大きかった。それで馬丁やコックたちと一緒になって酒を飲んだりした」と後に回想しています。

是清の悪癖は江戸にまでうわさが広がってしまい、一度はアメリカ留学の候補から外されてしまいます。そこで、是清は密航の計画を企てます。

周囲のとりなしもあり、藩から正式にアメリカへ派遣されることが決定。サンフランシスコに渡り、住み込みで学校に通うことになりました。

ところがこのホームステイ先の老夫婦は、是清を召使のように扱います。料理から部屋の掃除までやらされ、肝心の学校には通わせてもらえません。さらに不幸は続きます。ある日、役場に連れていかれ書類にサインするように促されます。

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