梅宮辰夫 誰からも愛された昭和の銀幕スター「男気人生」 (1/3ページ)
昭和の銀幕スターで、近年はドラマやバラエティー番組などで活躍していた梅宮辰夫さんが慢性腎不全で12月12日、神奈川県内の病院で死去。81歳だった。
「アクション映画や任侠映画で一世を風靡した梅宮さんはその昔、“夜の銀座の帝王”と呼ばれたこともありましたが、1972年に長女のアンナが生まれてから夜の遊びは控え溺愛した。アンナパパとしてもワイドショーを賑わせたのは周知の通り。強面の世界でも顔が広く、誰からも愛され最後まで俳優人生を全うしましたよ」(東映映画関係者)
梅宮さんは日本大学法学部在学中に銀座でスカウトされ、1958年、東映ニューフェイス5期生に合格。翌年、映画『少年探偵団』シリーズで主演デビューを飾った。その後、アクション映画や任侠映画で硬派な役柄を演じたが、’70年から始まった“帝王シリーズ”でプレイボーイ役にも挑戦し注目された。
「私生活でもモテましたよ。夜の銀座では、プレイボーイぶりをいかんなく発揮していた。銀座の超有名クラブ『姫』のナンバーワンホステスだった大門節子さんと結婚したんですが、すぐに離婚。そして、当時、遊び人と結婚して夫婦仲が悪くなっていたモデルのクラウディアさんと出会ったんです」(古参の銀座クラブ関係者)
クラウディアさんの事情を知った梅宮さんは、相手の男性と直接会い、多額の手切れ金を渡したうえで、別れさせたという。’72年にクラウディアさんと再婚、同年、アンナが誕生した。
’73年からは映画『仁義なき戦い』シリーズにも出演したが、’74年に睾丸がんを発症。がん細胞は左の肺に転移し、一時は「助からない」とまでされたが、奇跡的に治癒した。
「がんが発症したのは進行が早い30代半ばです。梅宮さんは助けてくれたドクターを『命の恩人』と呼び、“これからは夜遊びをやめてアンナのために生きる”とドクターに約束したんです」(医療関係者)
そのアンナと“誠意大将軍”といわれたタレントの羽賀研二の熱愛が発覚したのは’94年頃。当然、父親の梅宮さんは交際に大反対したが、ワイドショーの格好のネタになって、アンナと羽賀の熱愛騒動は世間の注目を浴びた。