プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「アントニオ猪木」虚実の間を行き来する 唯一無二の“猪木イズム” (1/3ページ)
燃える闘魂”アントニオ猪木。その名を聞けば、今なお心躍らせるファンは決して少なくないだろう。単なるアクションショーとはひと味違った日本特有のプロレス文化が生まれたのは、やはり猪木という存在があったからである。
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“猪木イズム”とは何なのか。ある者は「ストロングスタイル」のことだと言い、また、ある者は「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」という精神だと言う。その一方で「アメリカンプロレスの亜流にすぎない」と、猪木イズムの存在自体を完全否定する者もいる。
猪木自身が現役時代から今に至るまで、プロレスラーのあるべき姿として主張しているのは、第一に「強くあらねばならない」という点である。
力道山の時代からプロレスというジャンルは八百長と侮蔑され、各種のスポーツよりも格下と見なされてきた。そんな評価を覆すためにも、猪木にとって“強さ”は必須のものだった。
猪木は自らの強さを証明するため、格闘技の頂点であるプロボクシングのヘビー級王者、モハメド・アリにも戦いを挑んだ。アリと同じリングに上がり、できることならこれを凌駕することで、プロレスラーの強さを証明しようとしたのだ。
ただし、猪木が目指したのは自己満足的な強さではない。強さと同時に、名誉やビジネス的な成功も追いかけた。リアルな強さを追求しながら、ショービジネスとしても成功させる。この矛盾するようなテーマを両立させる闘いを、猪木は“格闘芸術”と称した。
“世界一の男=アリと闘った猪木がやるのだから、タイガー・ジェット・シンとの血みどろの抗争であろうと、国際軍団との1対3変則マッチであろうと、マサ斎藤との巌流島決戦であろうと、決して茶番などとは言わせない”というのが、その理屈である。
そして、実際にこれが受け入れられたことで、70年代後半から80年代にかけての新日本プロレスブームが起こり、多くの猪木信者が生まれることとなった。
また、猪木はいわゆるアングルにおいてもリアルさを求めた。