受験生の味方!天神様ってどんな人?菅原道真は学者であり有能なビジネスマンだった (2/4ページ)

Japaaan

宇多天皇が息子の醍醐天皇(だいごてんのう)へ天皇の位をゆずるときに菅原道真を右大臣にするように進言しました。899年、道真が55歳のときです。藤原家の力を弱めようとしたといわれています。

覇権争いで福岡県へ左遷させられ、すぐに亡くなった

右大臣になった道真ですが、醍醐天皇の弟で道真の娘婿であった斉世親王(ときよしんのう)を天皇にしようとしたと疑いをかけられ、901年太宰府(福岡県)へ左遷させられました。

道真が冤罪であると訴え、宇多上皇(うだじょうこう)も醍醐天皇に会いに行きましたが、醍醐天皇は合わなかったそうです。

藤原時平(ふじわらのときひら)と醍醐天皇が醍醐天皇の父、宇多上皇の政治力を排除するためだったのではないかという説もあります。

道真の息子も流刑になり、大宰府での暮らしは大変だったとか。左遷させられて2年後の903年、59歳で亡くなってしまいました。

道真が亡くなった後に不思議なことが相次いだ

その後都では疫病や干ばつが起きました。909年に藤原時平が39歳で亡くなり、他にも菅原道真を追いやったとされる関係者が相次いで亡くなります。さらに923年は醍醐天皇の息子保明親王(やすあきらしんのう)が、925年には醍醐天皇の孫も亡くなってしまいました。

朝廷内にある清涼殿に雷が落ち、その3か月後、醍醐天皇自身が崩御したのは930年。道真の祟り(たたり)と恐れた朝廷は道真の冤罪を認め、子供たちは都へ戻ります。

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