実在した暴れん坊将軍!一度ブチ切れたら何をするかわからない暴君「徳川重倫」その1 (1/2ページ)

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実在した暴れん坊将軍!一度ブチ切れたら何をするかわからない暴君「徳川重倫」その1

紀州藩を治めた紀州 徳川家は、徳川御三家に数えられる名家。5代藩主の吉宗は江戸幕府8代将軍にもなっています。その名門である紀州藩主の8代目は徳川重倫(とくがわしげのり)という人物です。

徳川重倫像(五百羅漢寺蔵) Wikipediaより

「倫(みち)を重んじる」という名前から、さぞ仁政を行った大人物かと思いきや、一度ブチきれると何をするかわからない、相当短気な殿様だったと記録されています。第7代藩主徳川宗将の子どもで、20歳で8代藩主となりますが、わずかな失敗を理由に、刀で20人以上の家来や侍女たちを切り殺したことが伝えられています。

彼は、体格は足の大きさ12文半(およそ30㌢)あり、この足袋を1日に25足も穿きつぶしたといいます。足の大きさから考えても、相当な大男だったことでしょう。

重倫は、その体の大きさから「大殿様」と呼ばれていたそうですが、そんな巨体の殿様の命令に誰も逆らうこともできるわけもなく、家臣は何でも言うことを聞かざるを得なかったようです。

万が一でも重倫がブチ切れるようなことがあるのなら、3尺(およそ90cm)の太刀を振りかざして御殿を駆け巡り、侍女たちの叫び声が響き渡るようなありさまだったといいます。

あるときは、藩財政の問にきちんと答えてないと激怒し、御用頭取の2人を成敗しています。また、10代藩主・徳川治宝(はるとみ)の生母・おふさを切り殺したこともありました。

別のときには、「庭に豆腐を積み上げよ」と、意図の汲み取れない命令を出されましたが、家臣たちは黙々と従うしかありません。

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