自分は自分。そう思えることが世界平和 (1/3ページ)
「他人のことが気になってしょうがない」。
そう思うことってありますよね。「自分は自分、他人は他人」ってなかなか割り切ることはできないものかもしれません。
実はかつて、私にもそんな時期がありました。
でも今は思いきり「自分は自分」と自分らしく生きています。
今回は、他人の目が気になってしまっていた私が、そう思えるようになった経緯をお話しします。
「人は人」と思えなくて悩んでいる人のヒントになれば幸いです。
■「自分は自分」と思えなかった頃の話
◇「出ない杭は打たれない」と感じた小学生時代
私が「他人のことが気になってしょうがない」と初めて思ったのは小学3年生の時。
「私ってなんでこんなに人の目が気になっちゃうんだろう! 気にしなきゃいいのに!」と感じたんです。
原因は女同士の、悪口・無視・仲間はずれなどがちょうど出てきた頃だったから。
私がその標的になることもあって、あまり身に覚えがないゆえに「なんで嫌われたんだろう」「なんで怒らせたんだろう」と悶々と考えるんですよね。
そうなると、友だちのちょっとした態度の変化とかも気になるし、人の目線から、友だちと歩いてる時の立ち位置まで気になる始末。
そのめんどくささと、精神的負担には辟易しました。
もともとあんまり空気読まない子だったし、マセてて、意見や主張の強い子でした。
他の人と考え方が違うなあ、遊びや行動パターンもなんだか違うよなあ、服装や持ってるものも違う……と子どもながらに感じていました。
「私もみんなと同じことをして、同じ意見を持って、同じような服を着て、目立たなきゃめんどくさくなくなるかなあ」と思って、無難な振る舞いしかしなくなったりして。
そうなると確かに「出ない杭は打たれない」って感じで女同士の友情はなんとも平和でした。
◇中学で事件発生。嫉妬でペンケースを隠された
だけどもそんな平和の中にもやっぱり事件は訪れて。中学生のときペンケースが無くなってしまったんです。