古代から認識されていた体外離脱を脳のバグや魂の離脱以外の観点から考える (2/4ページ)
■現代科学からの反論
神経外科医オラフ・ブランケ(ジュネーブ大学病院)は大脳右半球を電気刺激することで体外離脱体験を再現したと「ネイチャー」で発表している。また3Dで作成したバーチャルリアリティの自分を見せることで体外離脱と錯覚させる実験にも成功しており、これらのことからブランケは、体外離脱体験は自己の身体認知プロセスの混乱ではないかと推測を立てている。(越智啓太編・心理学ビジュアル百科より)。
特にこの錯覚実験は心理学者がよく使う手法である。リチャード・ワイズマンが説明するやり方を要約すると、両手をテーブルに乗せ、右手をずらし隣にゴム製の手を置き、右手とゴムの手の間に敷居を立てて右手を見えなくする。協力者に両方を数分間さすってもらうとゴムの手を自分の一部のように感じてしまうのである。
これらの実験が何を意味するかというと「『自分』は自分の体内にいる」という日常的な意識は脳が普段から様々な外界の情報を基に作りあげているものであるということだ。そのおかげで我々は自分が自分の中にいるという安定感の下で日常生活をおくることができる。それが疲労やストレスか、強烈な妄想か原因は様々だが脳に違う信号が送られたとき、「自分」が自分の体内にいられなくなる。つまり脳が身体を認知するプロセスが混乱する。体外離脱の正体はこの脳の混乱、脳のバグであるというのが科学者のおおよその見解である。
■主観的な体験の説得力の凄さ
筆者は体外離脱なる現象が魂の離脱であるとか脳のバグであるとかの客観的な事実をめぐる議論には関心がない。それよりこの体験がいかに人格的な意識の変容をもたらすか、死生観にどう影響を与えるかの方が重要であると考える。
主観的体験が、客観的事実が提示する説得力を凌駕し自身の人生に与えることは少なくない。先述のスヴェーデンボリやヘレンケラーもそうであるが、体外離脱体験で人生観が変わったと言う人は多い。例えば「ガイド」の存在である。体外離脱をして、より次元の高い世界に行くと、我々の意識が進化、成長するように諭してくれる高次の存在と会えるという。