明治時代にタイムスリップ! 「岩手銀行赤レンガ館」の内部建築が最高すぎる (3/4ページ)

Jタウンネット

館内装飾のどこまで辰野金吾が手がけたのかは分かりません」

とのこと。

そこで、Jタウンネット記者は葛西萬司について調べてみた。

「葛西萬司は1863年(文久3年)7月21日,盛岡上衆小路(現:盛岡市下ノ橋町)にて盛岡藩士鴨澤舎の次男として生まれた。盛岡藩士であり,のちに岩手銀行頭取となる葛西重雄の養子となり葛西姓を名乗る。
12歳で上京した後,慶応義塾,第一高等中学校をへて,1890年(明治23年),帝国大学工科大学造家学科を卒業した。同年,日本銀行建築科へ技師として就職,そこで辰野金吾とともに建築の仕事に従事した。1903年(明治36年)8月,辰野とともに辰野葛西建築事務所を開設する」(盛岡市のホームページ内『盛岡の先人たち』第44回より)

全国を駆け回っていた辰野金吾に代わって、盛岡市内の現場の細部にまで目を配っていたのは、盛岡出身の葛西萬司であったかもしれない。九州佐賀の唐津藩出身の辰野よりも、盛岡出身の葛西の方が自然に力が入ったのではないだろうか。

また明治時代後期、地元の人々が話す南部弁を九州人の辰野が正確に理解するのは、相当に難しかったはずだ。単に方言だけでなく、気質の問題もある。そこで盛岡出身の葛西に頼る部分も多かったのではないかと、Jタウンネット記者は想像する。

「東京駅に似ている」と言われるが...

もう一つ注目すべき点は、1911年竣工という時期である。東京駅開業が1914年(大正3年)だから、3年前だ。外観を見て、東京駅に似ているという人が多いが、正確には、東京駅が岩手銀行に似ているのだ。東京駅のモデルケースが、この岩手銀行というわけだ。

東京駅の設計も、辰野葛西建築事務所が手がけた。葛西萬司は辰野金吾とともに大いに力を発揮したのだ。岩手銀行で試した技術を、東京駅に応用してみたなんてこともあるかもしれない。建築素人のJタウンネット記者の妄想はまたまた膨らんでしまった。

岩手銀行赤レンガ館の内部を見学するとき、東京駅と比較してじっくり細部を見るのもおもしろいだろう。辰野金吾と、盛岡出身の葛西萬司の力作は、必見ものだ。

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