沢尻エリカ騒動の『麒麟がくる』も話題! 戦国武将の「女にモテる飯」「死ぬ飯」

日刊大衆

沢尻エリカ騒動の『麒麟がくる』も話題! 戦国武将の「女にモテる飯」「死ぬ飯」

 戦場を駆け抜け、夜は世継ぎを残すため“名刀”を振るう。乱世の英雄たちが好んで食べたものとは!?

 今年、2020年のNHK大河ドラマは『麒麟がくる』。主役は、長谷川博己演じる明智光秀だ。濃姫役の沢尻エリカが逮捕され、出演したシーンを川口春奈で撮り直したため、第1回放送が異例の2週遅れ(1月19日)となった。しかし、昨年の『いだてん〜東京オリンピック噺〜』が視聴率1ケタ台の超低空飛行だっただけに、大河ファンの期待は膨らんでいる。

 今回は新大河にちなみ、戦国武将の「絶倫長寿めし」を見ていくが、戦国武将に学ぶ理由は数多い。まず、闘争心旺盛な点だ。男たるもの、常に攻めの姿勢を忘れたくない。頑強な体に尽きることのない欲望。これこそ、生涯現役の秘訣だろう。

 年を重ねても元気で、女にもモテる……そんな彼らは何を食べていたのか? まずは大河の主人公、明智光秀から。繊細でヤワな感じもする従来の光秀のイメージは誤りだと指摘するのは、『明智光秀は二人いた!』(双葉社)の筆者で、歴史研究家の跡部蛮氏だ。「光秀には享年が55だった説と67だった説がありますが、用いる史料の信憑性からいっても、67歳が正しいでしょう。“人生50年”といわれた戦国時代からすると、かなりの長寿。しかも光秀は、山崎の合戦で討ち死にする年の年明けに、側室に男子を産ませているんです。徳川家康が61歳で側室との間に十一男の徳川頼房(のちの初代水戸藩主)をもうけた話は有名ですが、光秀は“家康の記録”を6歳も更新しているんです」

 そんな光秀が好んでいたのが、“みそ汁パーティ”だという。「客に具を持ち寄らせ、みそ汁に入れて飲むんです。光秀が好んだ具が、サトイモ、ゴボウ、ネギ。そこに猪の肉を加えたりしたようです」(郷土史研究家)

 “三本の矢”の教えで有名な毛利元就は、67歳の年に子どもをもうけた光秀をさらに上回り、70歳で側室を孕ませている。龍造寺家兼に至っては、90歳で出陣したという記録も残っており、戦国武将はまさに生涯現役なのだ。なぜかくも、元気なのか。『武将メシ』(宝島社)などの著書で知られる食文化史研究家の永山久夫氏は、こう分析する。「戦国武将のうち、男性ホルモン(テストステロン)が強く、旺盛だったのは、北条早雲、毛利元就、そして、三英傑の織田信長豊臣秀吉、徳川家康だと言えます。これは当時の文献などで、武将が何を食べていたのかを調べて分かったことです。テストステロンが強いと強力な筋肉と骨格ができあがりますし、闘争本能も強くなります。戦国武将ではありませんが、江戸時代の十一代将軍・徳川家斉は、生涯40人以上の女性に55人の子を産ませました。その秘訣は、牛の乳を加工した“白牛”にありました」

 どうやら、テストステロンの分泌を促す動物性タンパク質が重要なようだ。「信長が好んだ食材の一つが、鳥の胸肉、今で言う焼き鳥です。当時は鶴やキジの肉を鷹狩りでとっていました。もちろん、鳥の肉はテストステロンの分泌を促します」(前同)

■豊臣秀吉は虎の塩漬け肉を

 動物性タンパク質でいうと、やはり牛肉。南蛮人宣教師ルイス・フロイスが、こう書き残している。〈私たち(西洋人)の食物も、彼ら(日本人)の間ではとても望まれている。とりわけ、日本人が嫌悪してきた卵や牛肉がそうなのです。太閤様(豊臣秀吉)まで、それらの食物をとても好んでいます〉

 戦国時代、南蛮貿易が盛んになるにつれ、牛肉を食べる習慣が日本に根づいたのだ。「秀吉は天正15年(1587年)にバテレン追放令を発し、キリシタンを弾圧すると同時に、牛馬の売買や食事を禁止したが、それ以前より、猪や鹿などの肉を食べる文化は普及していました」(前出の跡部氏)

 その秀吉はすごい。「秀吉は、朝鮮出兵した島津義弘から2頭分の虎の塩漬け肉を送ってもらっています」(前出の永山氏)

 秀吉ゆかりの“ビンビンめし”としては、強壮食材たっぷりの“太閤スープ”があるという。「材料は鶏がら、手羽、豚肉、豚あばら、ニンニク、しょうが、シイタケ、リンゴ、カツオ節、クコの実などです」(前同)

 漢方に詳しい薬剤師の平地治美氏は「クコの実は目や肝臓によいとされます」という。戦国武将たちは、ただやみくもに動物性タンパク質をとるだけでなく、意外や意外、幅広く健康食材をとっていたのだ。「秀吉は子どもの頃、よくドジョウを食べていました。そこに含まれるトリプトファンは、脳内物質セロトニンの分泌を盛んにします。これは別名“幸せホルモン”。秀吉の底抜けの明るさは、この成分によるものと思われます」(永山氏)

 秀吉には、のちに信長の側室となる女性に近づき、いつも冗談を言って笑わせていた。これが、信長への仕官につながったという逸話も残る。女にモテる秘訣は、ドジョウにあるのかも。さらに秀吉は、肉と同じく強壮作用のあるタコ、イカを好んだという。「秀吉はその生涯において、何度か“奇策”と言える作戦を実行していますが、その発想を助けたのが、タコやイカではないでしょうか。タコやイカにはタウリンやグルタミン酸が豊富に含まれ、脳の老化を防いでくれます。タウリンは、現在市販されている多くの栄養ドリンクにも含まれており、疲労回復のほか、血圧を安定させ、心臓を丈夫にしてくれるんです」(前同)

■織田信長は塩辛い味つけが好み

 織田信長も、タウリンが豊富に含まれているアワビを好んでいたというが、信長は全般に田舎風の塩辛い味つけが好みだった。

 こんな話が伝わる。信長が上洛する前まで都を押さえていた三好家の料理人に坪内某という者がいた。信長が都から三好勢を追い出した後、彼の料理の腕を惜しみ、試しに朝食を作らせてみたが、一口食べるや「水臭くて、とても食えん」と言い、首を刎ねようとした。しかし、坪内某が懸命に命乞いするので、もう一度チャンスを与えると、出来上がった料理は信長好みの味。坪内は京風の薄味をやめ、塩辛い味つけにして料理を作り直したのだ。

「信長だけではありません。秀吉も塩をよくとっていたそうです。現代では、塩分と聞くと、とり過ぎは血圧を上げ、生活習慣病の元凶になるというイメージがありますが、そもそも塩は漢方では体を温め、気を増してくれる元気の素とされています」(前出の平地氏)

 ほかにも、信長と秀吉には共通の好みがあった。「大豆100%の味噌を好みました。これもドジョウと同じく、トリプトファンが豊富」(永山氏)

 主食は信長、秀吉ともにコメ。しかし、両雄では食べ方が違った。「信長は湯漬けを好みました。彼の事実上のデビュー戦となった桶狭間の合戦の際、出陣前に湯漬けをかっ込む彼の姿が『信長公記』に活写されています。一方、秀吉は割り粥を好みました。コメ粒を小さく割ることからこう呼ばれます。秀吉が高野山へ参詣した際、割り粥を所望しましたが、高野山にはコメ粒を小さく割る臼うすがありません。そこで高野山では人数を集め、まな板の上で一粒ずつコメを割る人海戦術で対応しました。割り粥は天下を取った秀吉らしく、手の込んだ贅沢な料理だったんです」(跡部氏)

■健康オタクとしても有名な徳川家康

 コメ派の信長、秀吉に対し、生涯、麦飯を貫いたのが徳川家康だ。ほかの戦国武将と同じく、パワーの源である動物性タンパク質をとることを心がけていた家康だが、同時にタンパク質のとり過ぎによる“弊害”に気づいていた節がある。

「家康の地位になれば、おいしい白米だって毎日食べられます。それなのに、あえて麦飯にしたのは、健康のためでしょう。明治以後は庶民も白米を食べられるようになりますが、海軍でわざわざ麦飯にしたのは脚気対策からです。白米は血糖値を上げますが、麦は逆に糖尿病になるリスクを下げてくれます。また、白米にはない水溶性の食物繊維がコレステロールの吸収を阻害し、胃にある食べ物をゆっくりと移動させる働きがあるため、満腹感が長続きしやすく、生活習慣病を防いでくれます」(平地氏)

 家康恐るべし。さすがは、健康オタクとしても有名な武将だけのことはある。「家康は、天下を取る前から漢方医学について、医者並みの知識を持っていたそうです。朝鮮にも人を派遣し、忍者にも長寿の情報を収集させていたといいます。江戸中期に小石川に療養所が開設されますが、それもこうした家康の努力あっての話でしょうね」(前同)

 家康は地元・浜松の名物、浜納豆(麹菌を用いて作り、一般的な糸引き納豆とは菌学的に製造法が異なる)をよく食べ、味噌は、信長、秀吉と同じく大豆100%のものを選んだという。「大豆には精子の原料になるアルギニンがたっぷり含まれ、強精効果があります。家康は、66歳にして遊女街で遊び、淋病になったといわれるほどお盛んな人でした。生涯に妻妾あわせ17人、もうけた子どもが16人というのも、うなずけますね」(永山氏)

 納豆や味噌をはじめとする発酵食品は、信長、秀吉、家康の三英傑のみならず、戦国武将が「気を養う」と好んだ食品の代表格。平地氏が、こう続ける。「味噌は腸内細菌を増やし、体を温める働きがあります。なかなか妊娠しない牛や豚の腹に、味噌を乗せてお灸する“味噌灸”をしたら、受胎率が上がったというデータがあるそうです」

 何事も論より証拠。今年一年、武将たちの“長寿&ビンビンめし”を実践し、生涯現役を目指そうではありませんか!

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