本当にみんな平等だったの?縄文時代が決してユートピアではなかったシンプルな理由
学校の日本史で縄文時代の授業を受けたとき、皆さんはどんなイメージを持ったでしょうか。
「縄の文様をつけた土器や、炎のような土器が流行った(多く出土した)」
「食糧は狩猟や採集によって調達、自然と共生していた」
そんな中、先生から特に強調されたであろう「身分や貧富の差がない、平等な社会だった」というイメージ。
やがて稲作が伝わって弥生時代に入ると、人々に財産を蓄える概念が生まれ、そこから貧富や身分の差が生まれていった……そんな歴史ストーリーを組み立てる上で、古き良き「ユートピア(理想郷)」として語られがちな縄文時代。
しかし、本当にそうだったのでしょうか。今回はそれを検証していきたいと思います。
身分制度がなかった?シンプルでシビアな理由まず、縄文ユートピアの裏付けとしてよく語られるのが「狩猟はみんなが力を合わせないと出来ないから、身分や獲物の分け前=貧富に差がなく平等だった」という説。
確かにクマやイノシシ、あるいはオオツノジカやナウマンゾウといった猛獣を一人で狩るのは難しく、多くの者が力を合わせたであろうことは想像に難くありません。
しかし、狩猟に参加した者すべてが同じだけの働きをしたとは考えにくく、危険を顧みず勇敢に挑みかかった者がいる一方で、元より技量や胆力に欠け、後方で震えていた者だっていた筈です。
当然、働きの大きな者ほど肉の分け前が多かったり、美味しい部位を貰えたりなど厚遇されたでしょうし、その積み重ねによって信用を築き上げ、コミュニティの中で存在感を発揮した(そして多分、女性にもモテた)事でしょう。
そうした能力の差が身分制度にまで発展した形跡がないのは、仮に特権階級を設けたところで、そこに安座できるほど社会的な(人員・物資の)余裕、つまり身分制度を設ける意味がなかったと言えます。
縄文時代に身分制度がなかった(ように見える)のは、優秀な者ほど現場の最前線でリーダーシップをとらないとコミュニティが存続できない厳しい環境だったためと考えられます。
終わりに稲作が伝わった弥生時代以降、食糧事情が大きく改善され、その結果として生まれた社会的な余裕と共に身分格差がハッキリしていったことは確かです。
しかし、だからと言って狩猟採集によって食糧を得ていた縄文時代が「みんな平等なユートピア」だった訳ではなく、むしろみんなが力を合わせなければ生きていけない厳しい環境だからこそ、食糧をめぐるシビアな生存競争が繰り広げられた事でしょう。
それこそ足手まとい(元から劣った者以外にも、怪我や病気で障害を負った者など)を切り捨てたり、村八分にしたり……。
まだ文字が使われていなかったため、そうした残酷な記録は残されていないものの、少なくとも「みんな揃って仲良しこよし」なユートピア(※この主張もまた、文字なきゆえの憶測に過ぎません)よりはリアリティが感じられるのではないでしょうか。
※参考文献:
山田康弘『縄文時代の歴史』講談社現代新書、2019年1月17日
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan