江戸時代、インフルエンザの流行に対して「久松留守」と貼り紙をする予防法があった!?

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江戸時代、インフルエンザの流行に対して「久松留守」と貼り紙をする予防法があった!?

風邪やインフルエンザの予防法は?

2020年2月現在、中国で発生した新型コロナウイルスによる肺炎の影響で、社会に様々な影響が広がっています。こういった事例は何も今回に限ったことではなく、たとえば2009(平成21)年の新型インフルエンザの流行や2011(平成23)年の東日本大震災の際にも、同様のことが起こりました。

さて、新型肺炎以上に毎年流行して恐れられているのが、インフルエンザです。インフルエンザ予防のために、予防接種に加え、手洗い、うがい、マスク着用などを心がけている方は多いでしょう。

実はインフルエンザの流行は江戸~明治時代にもたびたび起こり、その予防法として非常にユニークな「おまじない」があったことが知られています。

インフルエンザ予防に「久松留守」その理由は?

その「おまじない」とは、家の入り口に「久松留守」または「久松るす」と書いた紙を、お札のように貼っておくというものでした。

「久松って誰?」

と思われるかもしれませんが、実はこれは当時大人気だった歌舞伎や浄瑠璃の演目『お染久松』にちなんだもの。

これは豪商の娘・お染と丁稚(奉公人)の久松が身分違いの恋に落ちたものの、その恋は叶わず心中…という1710(宝永7)年に実際に起きた悲恋を描いたストーリーです。
1811年(文化10)年に初演されて「誰でも知っている」というくらい大ヒットし、現在に至るまで上演され続けている演目なのです。

そこから、1889(明治22)~1891(明治24)年に流行ったインフルエンザが「お染風邪」と呼ばれるようになり、「お染さんが愛した久松さんは、この家にはいませんよ!だから家に入ってこないでくださいね!」ということで、このおまじないが誕生しました。

難病療治きたいなめい医 (歌川国芳 画)

当時の日本では現在のように「風邪をひいたから病院へ」というわけにはいきませんでした。もちろん、有効な治療薬があったわけでもありません。だからインフルエンザの大流行は、命にかかわる大問題だったにもかかわらず、どうすることもできなかったのです。

庶民がシャレのような「おまじない」にでもすがりたくなった気持ちが、なんだかわかるような気がします。

江戸時代、インフルエンザはその時流行っていたものの名前で呼ばれた

実は江戸時代にインフルエンザやたちの悪い風邪が流行すると、その時に流行していたものや有名人の名前をつけて呼ぶ習慣がありました。

今回ご紹介した「お染風邪」のほかにも、江戸の大火を引き起こし死刑になり、井原西鶴の『好色五人女』に取り上げられて有名になった「八百屋お七」の名前をつけた「お七風邪」と呼ばれたインフルエンザもありました。

Wikipedia「八百屋お七」

そもそも「インフルエンザ」という病名自体、「影響」を表す「influenza(インフルエンツァ)」というイタリア語を語源としています。

「インフルエンツァ」は世間に与える影響力の大きい人を指す「インフルエンサー」の語源にもなっている言葉なので、大流行して世の中に影響を与えるという意味で共通していますね。

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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