戦場で生まれた絆!奥州征伐で抜け駆けした鎌倉武士の縁談エピソード【下】 (4/4ページ)

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やがて、はぐれていた義村たちが合流。今回の殴り込みで討死したのは狩野五郎親光ひとり、奪った首級は葛西三郎清重(かさいの さぶろうきよしげ)と河村千鶴丸(かわむらの せんつるまる。後に元服して四郎秀清)がいくつか。他の者は敵を倒したものの首級を奪う余裕がなく、すべて打ち捨ててきたそうです。

今回の戦功によって行光は奥州岩手郡厨川(現:岩手県盛岡市)に領地を賜り、その後、嫡男の工藤長光が妻(清近の娘)たちと共に厨川へ移住。奥州の有力武士として、末永く繁栄したのでした。

ひょんなことから結ばれた縁談でしたが、共に戦場を潜り抜けた父親同士の絆に思いを馳せ、きっと深い愛情を育み合ったことでしょう。

【完】

※参考文献:
貴志正造 訳注『新版 全訳 吾妻鏡 第二巻 自巻第八 至巻十六』新人物往来社、2011年11月30日
細川重男『頼朝の武士団 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』洋泉社、2012年8月20日

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