女性の罪は美しさだけじゃない?平安時代の天才歌人・紫式部と清少納言それぞれの悩み (4/4ページ)

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学問の自由を望んだ女性たち

ただ、自由奔放に振る舞った代償なのか、清少納言の評判はその死後もかなりボロッカスで、鎌倉時代の『無名草子』『古事談』『古今著聞集』など後世の作品には、「才能のある女性は不幸になる」という迷信に基づく清少納言の転落エピソードがある事ない事これでもかと載せられたそうです。

「ただ女性に生まれ、真名=漢字を学んで書いたというだけで、身に覚えなき濡れ衣まで着せられねばならぬのか!」

そんな叫びが聞こえて来そうですが、彼女の名誉を守るために補足すると、息子の橘則長(たちばなの のりなが)は受領として越中国(現:富山県)を治め、娘の上東門院小馬命婦(じょうとうもんいん こまのみょうぶ)は藤原彰子(ふじわらの しょうし。道長の娘で一条天皇の皇后)に仕えてそれぞれ羽振りがよかったと言います。なので、もし清少納言が落ちぶれていようものなら、子供たちが母を放っておかなかったでしょう。

女性だって、もっと知りたい。色んなことを学びたい。吟光「紫式部ノ略伝」明治二十四1891年。

ひたすらに才能を隠そうと努めた紫式部と、才能を発揮する自由を求めて闘い続けた清少納言……彼女たちから見れば、望めば誰もが自由に勉強し、才能を開花できる令和の現代は、とても幸せな世の中に見えるかも知れませんね。

※参考文献:
池田亀鑑・秋山虔校注『紫式部日記』岩波文庫、1964年11月
池田亀鑑 校訂『枕草子』岩波文庫、1962年10月

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